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2007年4月 7日 (土)

小さな雄大

「良い天気で良かったですね」大体晴れの日に言われます。

 

今日は朝から曇り空、案内に出ると雨に変わった。

今日の雨はラッキーだった。こんな日は、地蔵辻周辺から出た霧が谷筋を下ってきたとき、連続する丘が生き物のように見え、幻想的な風景がひろがることがあるからです。是非ともみなさんに見ていただこう・・・。

 

その時の一番の絶景ポイントは薬師堂から。幸運にも「北のけーやん」のお世話で、薬師堂内でお弁当を食べさせていただくことになりました。「法事みたい」と参加者のみなさんと笑いながら、「は~とキッチン」で買った古代米のご飯に、地元の産物ばかりがギッシリ詰まった弁当をパクパク・・・おいしいお弁当に舌鼓を打っている間に・・・

「あっちゃー霧が消えてなくなっている」

でも、目線を戻せば、椿の赤い花と雨に光る緑の葉が境内に広がっていた。

 

私たちの目の前にあるものはすべて、見ようによって「きれいなもの、雄大なもの、心奪われるもの」に変わる。晴れなら「晴れ用」に、雨なら「雨用」に五感を切り替えれば良い。そして小さな自然にも雄大を感じる心を持てば良い訳です。

 

薬師堂で少し賢くなりました。

 

でも、おいしい弁当には心奪われる・・・。花より団子も五感のうち?

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コメント

 はじめてこちらに移住してきたばかりで雨の日が続いていたある日、同居の美里さんが「都会にいると雨の日が嫌だったけれど、こちらは雨の日でも風情があるせいか、気持ちが落ち着いていい」といっていた。

 数ヶ月前に観光企画を一人で構想しているとき、「熊野・高野・龍神-雨の旅、梅雨の旅・・・」ということを思い浮かべ、メモ書きをしておいたのを思い出した。龍神・龍神温泉は晴れの日も素晴らしいが、何故か「雨」の風情も似合うところのような気がする。

 え~さんが言われように、雨なら「雨用」に五感を切り替えるだけの感受性があれば、もっと充実した奥行きのある生活が送れるのにと思う。薬師堂辺りに遊びにいった日は確か晴れの日でしたが、癒されるようなふしぎな感覚がありましたよ。きっと雨あがりや霧がたちこめるともっと素晴らしいに違いないですね。

 そういえば昔、子供の頃、雪景色が大好きで、雪が仰山降った夕暮れには、すっかり夕ご飯の時間も忘れて犬と遠出の散歩に出掛けたりしていたのを思い出した。あまりにも遠くまでいってしまうので、犬もいささか草臥れた表情をしていたっけ。

 逆転の発想ではないけれど、そろそろ、観光地を通り過ぎるのではなく、「風情」、「風水」を心から堪能するような精神的な大人向けの旅行企画があっていいと思う。雨あがりにはもっともオゾンが満ち満ちて空気も清浄になるというし、もともと「雨」とともにある日本の風土なので、必ず和歌山~龍神の新しい魅力が発見できるに違いない。

 森林浴や癒し空間といったものがブームになっているけれど、山登りとか旅の真髄は、「自然との至近感」にあるとするなら、本当は、「雨」、「雨あがり」、「霧」、「雪」との接し方は欠かせない要素なのではないかしら。

 ところで、「晴れ男」とか「雨男」という迷信のような言い方があるけれど、私の場合、大事なイベントで何気なく天候を気にしていると、何故か、「曇り時々雨のち晴れ」といった複雑で、少々読むづらい天候になることが多いんですよ。屈折した人生をそのまま天気にも映し出されているような気もするし・・・@_@。

投稿: 森田 進 | 2007年4月 8日 (日) 07時44分

>>1
 私は、雨の日は「なぜ人生にこんな日が・・」でした。ある時、中東の国だったと思うのですが、太陽が悪魔で雨が天使~ううん忘れた!。とにかくそんな感じの表現を本で見ました。目から鱗でした。それからは
雨の日は中東を思い、晴れの日は日本。
どうにもならないときは、スキップします。 

投稿: え~さん | 2007年4月 8日 (日) 18時36分

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