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2008年2月

2008年2月28日 (木)

鹿が

ええ方法ないやろか

夕方お母さんからのメールです。

 鹿が自家菜園に入って、野菜は全部だめになった、とほほ・・・・何か良い方法は無いか?そんな内容だった。「夕方対策本部開こう」と返事を送り、しばらくして勤めている事務所を出て家に向かった。

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 家に近い日高川にかかる橋を渡っていたら、危なっかしい足取りでおばあちゃん(母)が歩いていた。手にいつもの財布入りバッグを持っていたので多分、久しぶりにたまやへ買い物に行くんやなあと思って後でお迎えに行くことにして家に帰った。

 家では、お母さんがニコニコで大根を炊いていた。タザエさんが大根を届けてくれたというのです。畑近くの諸先輩と鹿への嘆き話をしていたら、車が来たのに気づかず「ちょいと(少し)避けてくれたら通れるやけど(通れるのですが)」と運転手さんに声をかけられるまで、みんな夢中になって話し込んでいたらしい。そんな報告を家内から聞いていたら、キッコさんの声「大根置いとくでー」

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「おおきにー」久しぶりに聞いたお母さんの大きな声です。そして勝手口には3本の大根がおいてくれていた。

鹿の対策本部はもう必要なさそうです。

そうそう、おばあちゃんを迎えに行こうと「たまや」へ。おばあちゃんは、さっきすれ違った場所と同じところを、今度は家に向かってしんどそうに歩いていた。欄干を頼りにしながら。私が車を廻してとめると、ドアを開けに行くのも待ちきれないように乗ろうとしていた。そして手には、ほうれん草と小松菜の種。

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鹿に畑は荒らされたけど、おばあちゃんとお母さんはもう、走り出している。

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肩たたき

昨夜、家内の肩たたきをした。

すると「外で仕事してきたお父さんにそんなことさせられない」

私は待ってましたとばかり「もしかして、収入を得てくる人をえらいと思ってない?」と聞いた。ついでに「肩こった人がいたら肩たたく、で、ええんちゃう」「お母さんは家でベスト編んでるんやろ」と

そういいながら、家内が昨年の春それまでの勤めをやめてくれたことに感謝した。やっとこんなことが言えるようになったのです。

それは、自分の立場が良くなったとかいうのではありませんし、女たるもの・・・・でもありません。苦しくなった家計の中で、家族で田を耕し、山を育て、助けて下さる人たちに感謝しながら暮らす。ただただ1日を一生懸命生きる。

お母さんが家にいてくれるようになってもうすぐ1年、いま気持ちの中に、さがしていた何かが膨らみ始めています。

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2008年2月25日 (月)

芋と炎

ええよ 薪ストーブ眺めながらぼ~っとするのは

ママ何するん、ストーブの前に里芋並べて

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「里芋の焼き芋っておいしいやろか?」「どうやろなあ」

ママ、見てみて

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「薪に小さなロウソク並べたみたい」「ほんまやなあ」

こうして我が家の夜は更けていくのでした。ばかやねぇ……

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2008年2月24日 (日)

修繕

 ほぼ修繕完了です。

 昨日の夕方から雪が降り夜はやんでいたのですが、朝からまた雪になりました。

 昨日の続きに稲を干すために棚田で使う「はなち」(さお)や「はなち杭」(さおをのせる杭)を山に切りに行く予定でしたが中止しました。こんな日でもじっとしていることに罪悪感がある私は(我が家はそういう家系のようです)手がけていましたストーブの修繕をしました。

風の吹き込む車庫に、CDプレーヤを持ち込みシューベルトを聞きながらの作業。

 修繕というよりメンテナンスの方が正しく、ガスケット交換とガラス交換だけでしたので、すぐに終わるつもりでした。ところが寒い。かといって薪ストーブのメンテナンス作業に石油ストーブで暖をとるのもおかしな話なので凍えながら・・・・(考えてみればこれもおかしな話)

 先日からの耐火煉瓦の修繕も何とか養生期間が過ぎたので、ちょっと見にはきれいに仕上がりました。ドアノブのゆるみもガスケットを変えて、ぎゅっとドアを締めてみたら必要な「あそび」だったように思います。ガスケットがゆるくなっていたから、ドアノブがおかしく思えただけだったのでしょう。今はばっちりです。

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 早く焚いてみたいのですが、そうなると今焚いているストーブと置き換えなければなりません。年末から火を絶やすことなく焚いているストーブですから、この時期にわざわざ。。。とも思うのです。

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多分ためし焚きは、暖かい春になってからでしょう。

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2008年2月22日 (金)

ホイモ券

里芋のことをホイモと呼びます。

我が家の食料庫「たまや」は、近所の食料品と雑貨のお店です。

 無駄のない暮らし、田舎での暮らしに地元の商店は大切な存在です。必要なとき必要なものだけを売ってくれるお店。そういう意味でたまやは我が家の食料庫なのです。

 買い物をすると700円で1枚の「ホイモ券」をくれますが、この券をためると100枚で500円の勘定で買い物ができます。

  そもそもこのホイモ券は、一つの親芋から沢山の小芋ができるホイモを縁起のいいものと考えた「たまや」の先代が考え出した「たまや」だけのサービスです。 たまやで買い物をするときなど、まるで単位が700円で変わるみたいに、金額合わせをしています。たとえば買い物の合計金額が650円だと50円分の品物を追加で買ったりするのです。

  買い物のあと財布にホイモ券を入れてためていました。あるとき、街のデパートで買い物をしたら、店員さんがおつりと一緒にホイモ券を返してくれたことがあった。(支払った千円札にはさまっていたらしい)たしかそのときホイモ券の自慢をしたと思う。

 子供たちはいつもこの券を数えていました。100枚ためて500円分自分達の好きなお菓子を買う・・・・・こんな贅沢ができたのです。今でも家に帰ってくるたび券が何枚あるか数えて100枚になっていると喜んでたまやに走っていました。

こんな思い出のホイモ券がこの2月末で廃止になると、レジの横に書いていた。娘もその小さなお知らせを見たらしく「さみしくなると」話している。

この店は私達の暮らしの一部です。ホイモ券はなくなっても、また新しい「たまやの思い出」が生まれていくでしょう。

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2008年2月21日 (木)

薪ストーブ歴

 「これが5台目の薪ストーブ」

 ついに家内に白状しました。私はこれまで5台の薪ストーブを買いました。

一番初めは20年前ほど前、長野県のストーブ屋さんで4万円くらいの中国製を買った。しばらく家の片隅においていたが秘密基地ができたとき小屋にセットした。

 冬の雪や雨の日など山の小屋で、小さなストーブに火を入れ、本をよんだりうたた寝をしたり、熱くなって窓を開けると谷の音が涼しい。乾いた薪でゆっくり温度を上げていくときれいに燃え始める。ストーブの小さなガラス窓から見える炎もうまく燃やすときれいに見える。

 それがやみつきになり、次も使う場所がないのに、ベルギー製のものを買い……最終的にホームページのように、秘密基地は小さなストーブにかわり、家は石でできた重たいストーブになった。あとの3台はみんな現役でよそのお家で活躍している。そして最近ベルギー製のものが我が家に帰ってきた。

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 そのストーブを息子と整備している。5年くらい使い込んでいるのでそれなりの風格になってきているのがまた良い。クリーンバーン用の空気噴出し口も、使っている石のストーブに比べはるかに小さな穴なので、どんなやさしい炎になるのか楽しみにしながらゆっくり整備しています。

 さてこのストーブがどう変身するか、でもどこで使うかはまだ決まっていない。これが整備できて、また余裕ができたら細長いストーブもほしいと思っています。男のロマンちゅうやつです。

 薪ストーブは男のロマンです

……それにしても家内は「5台のストーブ」発覚後なにも小言がない。もしかしたら細長いストーブ買ってくれるかも。

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2008年2月20日 (水)

我が家の窓から

家からの風景は感動して見とれてしまうことがある。

毎日が「同じ風景ではない」のはどこも同じですが、

ここからは、田んぼの向こうに何軒かの家があり、その向こうにこの地を治めていた城主の墓、ずっと向こうはこのあたりで一番高い「ノヒロギ」ノヒロギからの緩やかな山並みには古くからの峠道・・・「自然と暮らしが見渡せる風景 」手前味噌な話ですが、こんないい場所はめったにないと思う。

2月4日

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2月5日

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2月8日

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これらの写真は5日間の内の3日のほぼ同じ時間の様子です。

その日の気分で感動が変わることもあるでしょうが、窓からの風景でその日の気分が良くなることもあります。

「すっごい一瞬やなあ」「ええなあ」「落ち着く」「・・・・」表せない感動がいっぱいあります。

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2008年2月19日 (火)

じいさん転ぶⅡ

「頭は、ぼ~っとしとるよ」

 昨日の続き、

 転んだ後体が動かず、ただ凍った通路で助けを求めたが、大きな声も出せなかったらしい、しばらくしてお母さんが見つけたが、動けないおじいちゃんを家に運び込むのに息子と一苦労したらしい。

 今朝、元気に起きてきたおじいちゃんです。一安心で、私は消防署へ昨日のお礼と搬送していただいた後の報告をしにいった。「よかったですね、お大事に」の返事にお世話になりながら、喜んで帰ってきた。

 おじいちゃんは、痛いだけではなくて、どこか調子が悪そうにしているので、お母さんが接骨院へ連れて行った。しばらくは通院することになりそうですが、これくらいで済んで本当によかった。

 

 

 

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2008年2月18日 (月)

じいさん転ぶ 六方焼

 季楽里で朝の散策が終わったとき、家内から電話が入った。

おじいちゃんが転んで救急車よんだからゆっくり帰ってきて

 離れ行く階段で雪に滑って転び、意識はあるけど体が思うように動かない、頭を打っているらしい、肩もおかしい、おじいちゃんが「救急車よんで」といったからよんだ、もうすぐ来てくれるのであわてずに帰って来てというのを、ゆっくり落ち着いて説明してくれた。

 家に帰ると、救急車は道路に止まって行き先をさがしてくれていた。おじいちゃんと付き添いの家内は救急車の中にいたが、話はできなかった。すぐに行き先も決まり、運転手さんが行き先を伝えてくれて出発した。

 病院で必要になりそうなものをそろえて、20分遅れくらいで私も家を出た。

 途中家内からの指示通り、おじいちゃんのスリッパを買い求め病院へ行く。姉夫婦も到着して救急へ行ったら、ただの打ち身でしびれもなくなり、骨も異常なしとのこと。これでおじいちゃんが元気に働く姿は見られないと思った私たちは、胸をなで下ろした。ああ良かったと病院前で姉夫婦とも別れた。

「おじいちゃん、しばらく養生したほうがええなぁ」家内が言うと「少々痛いくらい我慢して何かせにゃぁ(働かなくては)」と、あの救急車騒ぎは何だったのだろう。

 家に帰り、夜、ご飯の後に家内が茶菓子を出してくれた。「六方焼きおいしい?」返事をしようとしたら「赤あん?」返事をしようとしたら「白あん?」「いくつ食べたん?」「やっぱ金屋町のがおいしいやろう?」返事を待たんのやったら、質問するな・・・・。救急車騒ぎの「落ち着いたお母さん」はいったいどこへ行ったのだろう。

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2008年2月17日 (日)

また雪

先日の雪が今年最後だと思っていました。

 いつもなら先日の雪で積もる雪は終わり、3月の終わりくらいになごり雪が降って、冬はおしまいになるのですが、今年の雪は少ししつこい。日曜出勤した私は昼前に上富田町におりましたが結構な降り方をしました。龍神では3時過ぎからはすごい降り方、夕方は小降りになって周りが白くなっていたので、夕方のほうが明るく感じるほどでした。

 こんなに雪が降ると急に薪が不足するといけないと思い立ち、息子と二人薪運びをした。去年末娘と大割りしたストーブ用の薪はそんじょそこらのストーブには入らないくらいの大きさなので運ぶのも手間要らず。軽トラ1車分を家のそばの薪小屋に運び入れていたが急に思い立ち、そのうちの少しを最近新築の家で薪ストーブ生活はじめた従兄弟のところに持っていくことにした。そうなるとそれまで編み物をしていた家内も「行く」となり、徒歩100メートルの従兄弟の家にいった。

 ヨツールのF400は、なかなかの燃えっぷりでした。でも、いまいち奥行きが少ないので、やっぱり家のフェニックスのほうが見た目は良いかなと比べたりしながら、「空気調整してみて」「そうじゃなくてもっと微妙に・・・」などと鍋奉行ならぬ「ストー奉行」やってしまいました。「鉄やったらモルソーがよさそう・・・」さすがにそれは言えず、「やっぱり職人さんがセットした煙突は納まりがきれいやなぁ」とほめておいた。

 ストーブ談義はさておき木が燃えると、みているだけでも飽きてこないのですが、何とはなしに話が進む、口数の少ない従兄弟の嫁さんも、家内も今日はよくしゃべっていた。今度雪が降ったらまた、薪を持って100メートル先のヨツールを偵察に行こうと思っています。

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2008年2月14日 (木)

臆病はすてき?

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昨日の朝は、前日の雪が解けて凍ったので道はつるっつるでした。

 今朝はこの通り(写真)、冷え切った道路に薄雪、これに乾いた風が吹くとこんな感じになる。最近ずっと町の方に通っていますが今朝は、その途中で橋の上など何件かの事故に出会いました。

 私たちの暮らすあたりは大雪は降らないのですが、積雪でスリップすることは知っています。それに寒い季節の、陰と日向の道路の違い、橋と普通の道路上との違い、積もった雪と凍った雪や解けかけの雪での運転の違いなど、1日のうちでも様々な状況の道に出くわします。それで大概の人が急に変わる道路状況のこわさを知っているので、4輪駆動車に乗る人も多いですし、冬場のスタッドレスタイヤは必需品です。

 色々の場面で「なぁに、大丈夫大丈夫…」と言う人がいるが、そんな人はたまに迷惑この上ないことをしでかす場合があるから、私は彼らの自信や助言は信じないことにしている。自然の状況に対して臆病になることはすごく大事なことだと思います。

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2008年2月12日 (火)

追い焚き

我が家のお風呂は、薪で温めます。

風呂は、燃料が薪と石油の兼用で循環式になったものです。燃料が兼用にはなっていますが、もっぱら薪を使っています。以前から滅多に石油は使いません。おじいちゃん(父)が「木で沸かいた風呂へ入りたい」「温さが違うんじゃ」というからです。でも、本当はそれだけではなさそうです。

私は、家のおじいちゃん(私の祖父)が亡くなってから生まれているので、おじいちゃんを知らないのですが、聞いた話では、おばあちゃん(私の祖母)が風呂にはいると、おじいちゃんはいつも五右衛門風呂の焚き口に座って、薪をくべながら「おばあさんが、おりゃぁこそじゃ」つまり「あなたという妻が居るから我が家が成り立っている」と話しかけ、妻のバスタイムを快適にしたというのです。

五右衛門風呂のように薪だけが燃料のお風呂で追い焚きをしてもらうと、人のありがたさがわかります。循環式の今の風呂でも子ども達がはいると、よく追い焚きをしてやりました。それが続くと不思議に思ったのでしょう「私が入ると何も言わないのにどうして・・・」と聞いたので、待ってましたとばかり「大切な人やから」と応えました。

今夜も、妻がお風呂場から叫びます。「風呂焚いてー」私は「あいよ」と走って行き、速く温まるように「よき」で薪を細かく割り、風呂釜に火をおこします。

そして心の中でつぶやくのです「お母さんがおりゃぁこそじゃ」

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2008年2月10日 (日)

強かに自然と暮らす

昨日は「みぞれ」と分類したほうが良いような雪でした。

 土曜の降り方がまともに雪だったら大変だったと思う。もう少しで雨になる雪がどんどん降った。だから積もる解ける積もる解けるを繰り返したので数センチ雪が残っただけです。私たちの暮らす標高350メートル位でこの状態ですから、600から上は大変だったと思う。聞いた話ではスカイラインで50センチくらい積もったらしい。

 私の勤める建設会社でも標高800メートル位で作業している現場があるので、担当者は頭が痛いと思います。知り合いもスカイラインの途中で林業架線の準備をしていましたが、しばらくは山に入ることはできないでしょう。山での暮らしはその時期の天気で大きく変わります。欲張りしても丁度ころあいの雪も雨も降ってくれません。その日そのときの天候に合わせて暮らすよりないのです。

 今日、母(おばあちゃん)は、雪で畑に出れないからと、短く切った孟宗竹を割り始めました。聞くと「苗代用の杭を作っている」のだそうです。稲の苗は箱苗にかわっているので不用な杭なのですが「いっぱい作っといて」と頼んだ。天気の変化で右往左往するのは素人、雪が降ろうとなにが降ろうと、先を見て積極的に取り組むのが自然相手に暮らす玄人。

 雪が降ったらそりで遊びたいと思っていた私などは、ど素人。無意味だろうが勘違いだろうが前向きな母に「苗代の杭は、もう使わん」とは言えない。今日は、80年自然を相手に暮らしてきた者の強かさを見せ付けられた。

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何の不服がありましょう

カモシカ?シカ?が麦の葉を食べます。

 おいしい味噌の材料の一つ「麦」ですが、これまで麦は農薬を使うこともなく収穫できています。寒い時期に育つので虫が来ない、病気ぐらいは放っておいても大丈夫。肥料は鶏糞に薫炭にぬかに油粕。つまり、米と同じ肥料に鶏糞が加わるだけですがこれだけで、麦収穫後追加肥料もなく稲が作れます。

 毎年秋に麦を蒔きます。昨年のお祭りの朝母ちゃんと末娘の蒔いた麦はすぐに芽を出し順調に生育していました。が、先日しいたけ乾燥場のそばにある麦を蒔いた田「長通り」に行ってみたら、なななんと株を数センチ残して全部食べられていました。彼等はきっと麦の若葉が健康に良いのを知っているのだと思います。

 早速、一人で対策本部をしいたけ乾燥場に設置し検討を重ねた結果、長通りの周りに電気柵(柵の線に触れると体に電気ショックが来る)をめぐらすことにした。田にくいを打ち電気の流れる線を張っていく「今晩、電気ショックで悲鳴を上げるだろうな…」ほくそえみながら、麦を食われた悔しさより、今晩からの仕返しが楽しみと、一生懸命作業した。

 そして今日、朝から雪・雨・雪になりました。田に張りめぐらした線に雪がかかり、電気は地面に流れてしまい、動物が触れても「ちょっと、電気?」てな具合に感じるだけだと思う。後はこの雪に麦が目覚め、「あかん、生長しよう」って思ってくれたらなあ。根はしっかりはっているので麦がやる気を出してくれたら嬉しい。

 麦と米の二毛作が可能なのは日本と中国の一部、恵まれた環境で何の不服がありましょう。様々な動物が暮らせる環境の中で家の食料を作れることを思えば何の不服がありましょう・・・・そう思うことにして今夜はやすみます。

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2008年2月 8日 (金)

マリコの湯のみⅡ

毎年沖縄へ行っていました。

我が家の田んぼが片づく10月末の沖縄は観光客も少なく、まだ海にも入ることができる季節です。那覇は都会に降りるので馴染めず、宮古や石垣は畑の中に降りる感じなので好きでした。

ですから行き先は、宮古や石垣でした。

民宿では、小さな桟橋に寝転がって本を読む。チャッポンチャッポン波の音。一人のときはまあ一日の長いこと長いこと。夕方も日が長い・・・(沖縄が明石から1時間分ぐらい西にあることに気づいたのは随分あとになってからでした)

ホテルでは、ベランダで日向ぼっこ、電話が鳴ったので部屋に入ろうと立ち上がったら大きな笑い声・・・ホテルの庭掃除をしていた女性従業員の皆さんに素っ裸を披露していた。いくら貧弱とはいえ指差して笑うことはないと思う。けど、一応手は振っといた。

子供たちといった時は、自転車で島の中を走った。めし屋さんで様々なチャンプルを食べ、紅芋アイスもおいしかった。そして、ゴーヤバーガーにヌーヤルバーガーこれは癖になる。

石垣市の旧市街を歩いたときだったと思うのですが、ご自分の家を民族資料館にし、通りに面したところは落ち着いた土産物屋さん。そこで買ったのが、石垣島で焼き物をされているマリコさんの湯のみ。

そして月日は流れた。

ある年の秋

そろそろ沖縄へ行く季節か、田んぼで働いていたとき突然目の前が真っ暗になった・・・?・・・あれ・・・そして田んぼって「リゾート?」・・・そう、感じたのです。石垣や宮古で一生懸命遊んでいるときと同じ感覚を体が感じたのでした。(多分脱水症状だと思う)そして、私にとって田んぼや山で働くことが「リゾート」での遊びと同じって事に気づいたのです。

それからは久しく沖縄にも行っていません。決してお気楽な日々ではないのですが、そんなわけで私は毎日リゾートしています。

「マリコの湯のみ」は、出会ったこともないマリコさんが焼いた「やさしい湯のみ」です。

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2008年2月 7日 (木)

マリコの湯のみ

テレビを消しています。

「テレビを見ないで!」子供たちが小さかった頃よく家内にしかられた。確かにテレビは時間の無駄使いかもしれませんし、家族のコミュニケーションも希薄になるように思います。今も食事の場にはテレビはありませんし、テレビのある部屋でご飯を食べるときもスイッチは入っていません。

先ほど、家族揃っての夕食が済み、知り合いが薦めてくれたチェコフィルのCDを聞いています。時々ストーブから火の爆ぜる音が聞こえます。とりたてて言うことでもないのでしょうが、「ありがたいなあ」と思います。そして、日ごろの反省も込めて「助けてくれる人を大切にせねば」「家族も大事にせねば」そして「妻も大事にせねば」と思うのです。

不思議とこんな時には、あの騒がしい家内が何も言わずそっとしておいてくれるのです。

石垣島で買ったお気に入りの「マリコの湯のみ」には、家で摘んだお茶を入れてくれています。外は雪か雨が降り出したようで、屋根から少しずつ雨音が聞こえてきました。

息子が急に「いい音してるなぁ」と声かけてくれて、また一人にしてくれる。

おかげさまで今夜も贅沢な時間をすごさせてもらっています。

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2008年2月 6日 (水)

蝋梅(ろうばい)

息子が家で暮らすようになった記念に蝋梅を植えることにした。

苗木を買って車に積み込むと春のにおいがいっぱいになった。5~6個の終わりかけの花が付いているだけなのに。「これだったら病みこんでも匂いで春の足音を感じられる」息子の記念植樹なのか自分の老後対策なのかわからなくなった。

我が家には少しの山林があるのですが、よくじいさん(父)は「あそこは長女が生まれたときに植えた」「あそこは長男が……」このように、新しい家族の誕生や思い出と山林の手入れを重ねて覚えている。

そういえば「花の散歩道を作って」娘の期待に、ヒメシャラを植えた。「びわ大好き」びわを植えた。桃、イチジク・・・全部鹿が食ってしまった。今残っているのは落ち葉が香ばしい桂ぐらいかな。桂を植えた頃は、こんなに香ばしいとは知らず、木の近くに住むおばが、毎日お茶を炒っているとばかり思っていた。

家族の成長や自然の移ろいを目だけではなく、匂いや音や風、さまざまなもので感じたいものです。

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2008年2月 5日 (火)

引っ越しました

本日引っ越して来ました。

何となく感覚が違うので、なれるまで大変そうですが、これも時間がたてば何とかなるでしょう。

夜からちらついていた雪が、みぞれに変わってきています。

 今年は雪あそびができなくて残念です。先日ホームセンターでソリを買ったのにこのまま冬が終わってしまいそうで残念です。

 早くから黒文字の芽が動き始めていて不安に思いましたが、雪は正月だけで、このまま積もることなく春がやってきたらつらいものがあります。

 雪が降ると秘密基地周辺は日が当たらないので解けにくく、名の通り秘密基地ですから、大人がソリに乗って大騒ぎしていても大丈夫、ソリ遊びといいましてもソリの上に座るのではなく、伏せて乗ります。するとスピード感は結構なものです。それに何かにぶつかると、頭からですからスリルも最高です。

50歳を超えた私は今でもそんな遊びに没頭することができます。もちろんこんなことして喜ぶ同年代の友人は今のところ周辺にはおりませんので、一人あそびで過ごします。

カヌー用のヘルメットかぶったおっさんが山の中で、子供用のソリに腹ばいになってひたすら遊ぶ姿はきっと異様でしょう。

でも、仲間に入りたい人はおっしゃってください。それも雪が降ればの話ですが。

せめてもう一度10センチでもいいから、雪が積もってほしいなぁ

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2008年2月 3日 (日)

節分

 

 今日は節分。

 

 子ども達が小さい頃には、鬼がやってこないように枯れたごんぱち(いたどり)や竹を家のかどでぱんぱん音を立てて燃やした。また、その火でお尻をあぶっておくとねぶと(できもの)ができないからといわれ、みんなでお尻を向けてあぶった。

 鬼の目つき(ひいらぎ)と鰯の頭をさして門先につっておいた。

 豆まきは小さな石ころと大豆。「鬼はそと~」と外に向かって小石をまき、「福はうち」とウチの中には大豆をまいた。

 

 おじいちゃんが、おばあちゃんが、そして子ども達がいて、他には何もなかったが、面白い行事だった。子供らの胸にどんなに残っているかはわからないが、みんなの笑顔だけ残っていればいいなと思う。

 

 子ども達が家を出て暮らす昨今は、豆まきは「福は内」だけで、あとは巻きずしを食べる、それだけだ。

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始まるよ

新しいブログをはじめます。

勝手がわからないので自分の肩がこらないように短めにいきます。

以前から聞いていた四季(ビバルディ)ですが、ほかのCDではどうなのか聞こうと思い買ってみました。

不思議ですね全然感じが違うんです。

「どうも軽いなぁ」と思って聞いていましたが、2回目になるとそれが普通になって自然なのです。まあそれだけのことです。

クラシックに何の知識もない私ですが、新しい発見でした。

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2008年2月 2日 (土)

常識って?

 ぶんたが前に焼いたチーズスフレがおいしかったので、よしっと思い立ち、お父さんに「今晩チーズケーキを焼くからクリームチーズを買ってきて」と電話で頼んだ。

 買ってきてくれたのは、四角いキャラメルみたいなのが、8個入ったものだった。160gあったからまあできないこともないし良いかと思った。

 それなのに余計な一言「これと違うのなかったかい?もっと塊になったやつで200gぐらいのなかった?」(とやさしゅうきいたつもり)

(ムッとしたように)「しらんよ。これはクリームチーズやだ。わしはこれしか見らなんだもん」とのこと。

「えーっ、大体ようチーズケーキ焼くって言うたら塊が常識・・・」といいかけて・・・。 

 ああそうでした。あなたと私の常識は違うんだった!

  小さなことから違う常識を、笑ろうたり怒ったりしながらすり合わせてきて今がある。

 もうええかげん常識は一致するかと思ってたけど、まだまだこれからも、違うんやと思うことがたくさんあるんやろうな

 で、チーズスフレはというと、チーズをおやつにつまんで食べてしまい、まだ焼いていません。(でも、落ち着いて考えたら塊より小さいほうがつぶしやすかったんやわ。)

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2008年2月 1日 (金)

思い出の本棚

長男が福岡に住んでいたときの話

 

「福岡に遊びに来ないか」という息子の誘いに、二つ返事で行くことにした。

息子とネオン街で遊ぶのも良いなあと思っていた。

酒の飲めない私は、でも息子とそんな店に行くのも照れくさい・・・

いろいろ思いをめぐらせていた。

ホテルも指定されたあたりにとった。

 

行った先は、夜回り先生の講演だった。

終わって帰り道、あやしいお店の前は素通り

とったホテルに息子も泊まることになったので、その夜はよいお父さんになった。

そして、飲めない酒でも飲むかとコンビニに入った。

酒やつまみ、そして一冊の本『子供が育つ魔法の言葉』を息子が買ってくれた。

「簡単だから帰りの飛行機で読んだら」とのこと。

 帰り道、本を開いて反省しきり。子供たちにとって良い親とは言えない自分に気づかされた。

 

そして、息子と暮らせるようになった今、時々「これ、読んでみる?」と本を渡されることがある。

私は、少しどきどきしながらページをめくります。

 

中学生の頃、親父にしかられたあと、泣きながら読んだ詩集

高校卒業の日、担任の先生がくれた本

頑固な歯医者が、村を離れるときにくれた本

読みすぎて、ページがなくなった絵本

そんな、思い出の本が本棚がある。

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