今朝気付きました。
腐れ木という田があります。我が家の全ての田には名前が付いています。以前から名がある田とそうでない田があり、名のない田の名を数年前に家族に募集し、『腐れ木』となった。
お茶を摘むときの足場にと、田の上の斜面におじいちゃんが杭を打ち、桧のさおを沿わせていました。その木が腐ってきていて、まだ幼かった末娘の見ている前で、足場が壊れおばあちゃんが滑って水の溜まった田んぼに落ちた。
おばあちゃんが無事だったのと、どろどろになったおばあちゃんの姿が重りおかしくて忘れられないそうだ。それで『腐れ木』
今朝、日が当たるまえ、腐れ木の畦塗りしながら気付いたのです。
時間の単位で考えると、生きている時間より、生まれるまでの時間や、死んでからの時間のほうが遥かに長いこと。生き物として姿が与えられた時間は一瞬で、はかないものだと気付いたんです。
仕事やお金や屁理屈や言わず、出来たら人に腹を立てず、人や周りのものにやさしく一生懸命生きることにします。
まずは畦塗りから。
まだちょくちょく薪ストーブ焚いてます
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