« 宣言 | トップページ | 薪準備 »

2008年6月 6日 (金)

さみしさと向き合えば

 訃報には慣れている私ですが、今日のそれは家内からのメール、じわーっとさみしい思いがわいてきました。私が自分の田とは別に耕しているのがその方の田です。

 私が二十歳ごろ父の体調が悪い春があり、何も解らないまま田を耕しておりました。作業は遅れるし日が暮れてもライトを点けて耕運機を使った日があり、翌日その方が耕運機とともに来てくれ、色々教えてくれながら田植えの準備を終わらせてくれたのです。

 10年ほど前から体調が悪くなり田を耕せなくなったので、しばらく休耕されていましたが、それでも手間がかかるので私が耕すことにしました。以来「もう今年こそお返ししよう」と考えながら稲やピーマン等を作ってきた。あの日の朝「昨夜は遅うまで頑張ったのう」慰めともとれる言葉でほめてくれながら、やってきた顔を思い出し、この人が生きてる間は作らせてもらおうと頑張った。

Img_4624

 今年も田に立ち、上の方に見えるその家にいつも人影をさがした。なかなか水が溜まらないときは「苦労する姿は見せたくないな」とか、畦塗りしながら「水が溜まったのを家から見てくれているかな」と思いながら作業した。田植えをはじめる時は、報告にと電話を掛けたけど今年は留守みたいだった。

 土が浅く、水持ちが悪い田ですから、その方も春には苦労をして水をため、夏には谷の水を心配し秋を迎えたと思う。この春、田植えが終わったら、その苦労をほめてあげようと思っていたところでした。

何となくさみしいのは、苦労をわかり合える人が減ったからかも知れない。

|

« 宣言 | トップページ | 薪準備 »

季節とくらし」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 宣言 | トップページ | 薪準備 »