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2008年9月

2008年9月29日 (月)

だんだんと

 夕暮れが早くなり、今までのように『勤めから帰って田に行く』ようなことができなくなりました。

 そこで、石釜を作ることにしました。焼却場を作ったけど焼却の規制が始まり一度も使わなかった耐火煉瓦を勤め先からいただき準備しています。これが完成したら、薪オーブンでローストビーフは無理でも様々な料理ができるようになります。

 もうひとつは、3講座目の聴講生をはじめました。旧田辺市の海が見える丘にBigUという施設があり、図書館等と和歌山大学の紀南サテライトが入っています。そこでは開放講座が行われ、メニューで自分にあったものがあると聴講しています。3年前からこれまでに「世界遺産と観光」次は「健康福祉の実践学」そして今回が「子供の運動遊びと野外活動」1回4時間の聴講を11月末まで全6回受講できます。

 先日初回の受講に行ってびっくり。受講生は3人だったのです。「もったいなー」と「ラッキー」が交差しました。映画館に入ったら一人だったみたい、夢のような話です。

 子供達をどのようにとらえるか、発達の過程は、体力は、基本的なことなのでしょうが私にとっては「は~そうなのか」を4時間聞き、考え直さなければならないことがいっぱいあると気付きました。これからの講座が楽しみです。

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 だんだんと日が短くなりますが、だんだんと別の時間が長くなってきています。

 

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2008年9月28日 (日)

なんとか

稲はち(脱穀)終わりました。

 台風15号が来るからとおじいちゃんの田んぼスイッチが入ったので、稲はちをすることになりました。今日は宮代小学校の最後の運動会で、仕方なくお母さんが我が家の代表で出席し、息子と二人で田んぼに行くことになりました。

 宮代小学校は開校から130年になるのですが、次の春から東に新しく上山路(かみさんじ)小学校が誕生し3つの小学校が統合されます。たぶん統合される小学校では宮代小学校が児童数では一番多いのではないでしょうか。でも30人前後しか児童はいないと思います。

 で、稲はちですが、西の岡の上から丸田、腰切れ、千里(チリ)、太田、腐れ木までで午前中の作業は終わり。それから東光寺薬師堂の下、柳田へ移動です。

 昼ご飯を食べてからと思いましたが先に昼ごはんを食べたおじいちゃんが午後の部に参加するというので、放っておけずそのまま一緒に出かけた。(スイッチが入っているときは、そばで注意して見ておかないとちょっと危ない。それにこれまでおじいちゃんが守ってきた田んぼですから、肝心のときは従います)

 棹にかけ、お日様と風を頼りに干しておいた稲ですが、稲はちの時期が早すぎ乾燥不足なので白浜の兄の乾燥機に入れてもらうことにし、朝から夕方までに残されていた20アール分を片付けました。

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 稲束を脱穀機にかけるとモミは袋にたまり、不用なものは機械の外にはき出されます。それには雑草の種なども含まれているので、作業が終わると何箇所かにあるその不用な排出物に火をつけて燃やします。これが『作業が終わった』合図の『のろし』になります。

 5月5日に種まきし、約5ヶ月で収穫です。体もへとへとになるくらい使いましたが、天候にも、病気や虫にもひどく神経を使いました。だから収穫がありがたいのかも知れません。

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2008年9月26日 (金)

絵本が教えてくれたもの

 ワニ山は、私たち家族がそう呼んでいるだけですが、そろそろその姿が変わろうとしています。

 それは日高川町にあります。日高川を下るように龍神から御坊に向かうと、旧美山村を過ぎ旧中津村に入って少し進むと、直線道路の向こう側に見えるのです。

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 左の山の空との境い目にワニが山肌を登っているような姿に見えますからワニ山です。20年位前に、山の向こう側の木を切ったとき、何故かここの丘のヒノキを切らずに残していたものがこのように見えるのです。最近、手前の若い木が大きくなったのか、残ったヒノキに枝の葉が茂ったからなのか、だんだんその姿が意識しないとワニに見えなくなってきました。

 右手に見える山が「くじら山」です。絵本に出てくるくじらのような姿なので、そのように呼んでいました。

 幼かった子供たちを連れて実家に向かいながらここで「ワニ山だ、くじら山だ」と見たものです。このあたりが龍神から御坊へ向かう中間地点、車にも飽きてくる場所だったので、このふたつの山には随分助けられたものです。

 おもちゃやゲームもあった中で、家族の誰が発見したかわからないワニとくじら、通るたびに飽きもせず「感動の一騒ぎ」ができたことは、ありがたかったといつも思います。

 私たちの発見や感動は、家族のまわりにいつもあった絵本が教えてくれたものなのかも知れません。ワニの姿が変わっていったように、子供たちも大きくなりましたが、あの時のワニとくじらは変わらず家族共通の話題ですし、今も違った感動をくれています。

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2008年9月23日 (火)

わら切り

 彼岸なので家の墓参りをし、それから息子と二人で家内の実家の墓参りに行きました。龍神の墓は山の中にあるのですが、御坊は波の音が聞こえそうな海のすぐ近くにあります。いつもでしたら墓参りの後、海に出て煙樹ヶ浜の海岸を少し車で走ってから帰るのですが、今日は、一緒に墓参りに出たおじいちゃん(御坊の父)を実家に送りすぐに帰ってきました。

 水取り、黒酢、穴、ごん田4枚あわせて3アール足らずの田です。これらを「谷辺の小田(たにべのこだ)」と呼んでいます。家に帰り簡単に昼ごはんを食べるとすぐに田に向かいました。谷辺の小田の脱穀をするためです。急ぐのは特別の楽しみがあったからです。脱穀はすぐに終わり、棹を片付け、息子は杭の根元についた泥を洗い流す作業にかかり、私は、押し切りでわらを切る作業を始めました。これがしたかったのです。

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 しかし、長く使っていなかった押し切りは、わらを簡単に切らせてもらえなかった。そこで古い天ぷら油を錆び付いたところに流し何度か動かしていたら、楽にわらが切れるようになった。それからはざくざく切れるのが楽しくて、夕方までわら切りをして遊んでしまいました。

 今日脱穀しようを思っていた中西の1反ほどは明日に持ち越しとなりました。

夕ご飯のとき、おじいちゃん(龍神の父)にわら切りが楽しかった話をしたら、「わら切りの機械もエンジンもあるはず」という。右肩が痛くなっていた私は今度はそれでいこうと思っている。

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2008年9月22日 (月)

刈取り完了

 姉夫婦は何かにつけて作業の手伝いに来てくれる。姉は私が中学生のときに二十歳で嫁いだのですがその話が決まったとき兄は「何かと手伝いに来ます」などと言った。子供心に『すごい人だ』と思ったものですが、今でもそれは変わらない。

 今日も稲刈りの手伝いに来てくれた。私は仕事で役所に呼ばれていたので途中少し作業から抜け、用を済ませ家に帰りもう一度田んぼに行こうとしたら、でっかいバイクが家にやってきた。

 そのBMWに乗ったあやしげな大男がヘルメットをとったら同級生の西澤だった。挨拶も何もない『これから田んぼに行くけど来る?』身長190近く、体重120ほどのそいつは、私の車の助手席に頭をかがめて座った。乗るときは、まず尻をシートに沈ませ、次に足をいれ、ドアを閉めるとき窓ガラスの縁の前をつかんで引っ張る。田んぼに着いたけど仕事はできない。足が土にめり込んで歩けないのです。こんな役立たずを連れてくるのではなかったと後悔したけど、それだけではなかった講釈がえらいのでますます後悔した。

 西澤のあぜ道からの講釈を聞きながら姉夫婦、息子と家内は稲かけを無事終了した。夕食は姉が買ってきてくれたでっかいハマチ。姉と家内は苦労してその魚を料理していたが途中で「西澤さんこれ割ってくれる」すると図体のでかいこの講釈師は「ええよ」といって上手に料理を始めた。相変わらず講釈を言いながらでしたが手際が素人ではない。とても公務員とは思えない。

 昨日の稲刈りは、おさやんにさとみさん、まあやんにあきかず君が雨の中を手伝いに来てくれた。世間に出るといっぱいいやなこともあるけど、こうして手間をかけて作業していると、地域や友人たちに支えられて生きていることが実感できる。

 上手に料理されたハマチをみんなでいただきながら『まずは刈取り終了』のお祝いをしたのでした。

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柳田からみた本郷

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2008年9月19日 (金)

元気のもと

 5時過ぎにはいつものように目が覚めた。

雨が降らないうちに、谷へ沿わせてあったホース(田に水を引き入れるため)を引き上げに行った。大雨が降るとそれまでさらさら流れていた谷の水が滝のようになり、何もかも流してしまうことがあるからです。

田んぼでは、さおに干した稲に「頑張って」と「無理せんでいいよ」を言いながら見てまわり、帰り道には元気に干されている姿を写真を撮った。

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 昼頃から荒れるのかと思ったら、梅雨のようなしとしと雨が降り夕方には青空が覗いた。家族の誰より、おじいちゃんたちは、静かな台風にほっとしたようです。

 今週末から来週にかけて残った稲の刈り取りと、脱穀がまっている。月末には何とか倉に新米を持ち込めるでしょう。

 ひと月ほど前、明け方の雨で倒れてしまった晩生の大豆も、倒れたままですが少しずつ鞘を膨らませています。

 自然相手のくらしは、心配することが多すぎて、憂鬱になったりするのですが、育っていく作物に元気をもらっています。稲の収穫が終わったら、田をおこしレンゲを蒔いて次の元気を頂く準備をします。

 

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2008年9月18日 (木)

タマネギ

毎朝、味噌汁を作ります。

 タマネギ、ジャガイモは保存食なので常に台所から近い場所に少量用意しておけばどんな時も利用できます。特に朝は、タマネギを重宝しています。

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 勝手口から出たすぐの壁に玉ねぎをいくつか吊るしています。なくなったらまた車庫につるしてあるものを補給します。毎朝そこから一ついただいて、植え木のそばで茶色の皮をむきます。1分にも満たない時間でしょうが、朝の空気を感じて過ごします。

 白くなったタマネギを持って入り、台所の窓をあけ、西の山や空を見たりしながらきざみます。先にだしを入れ火にかけていた鍋に放り込み、追加は季節の野菜や豆腐を入れていきます。味をつけてくれるのは、我が家の味噌ですから何の心配もなく、思うものを入れればよいわけです。

 炊きあがったご飯に紀南の海でとれた『うるめいわし』をパリッと焼いて、茄子の漬物があったら、おいしい朝ごはんが出来上がります。

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2008年9月17日 (水)

増えた二人

 結婚以来はじめて自分たちの結婚式のビデオを見た。

 恥ずかしいと感じる年齢はとうに過ぎてしまったのだろうか、古いテープから映し出される映像は色あせ人の姿も幽霊のように見える。話題といったら「この人は誰だろう」とか亡くなったおじさんやおばさんの姿を懐かしく見ていた。

 パンチパーマで痩せてちょろちょろ動いている私と、りんとしてかわいい家内が映り、何故あのように多くの人に集まってもらったのか、随分迷惑をかけたものだと少しそれが恥ずかしい。

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 ウエストも体重も10増えた私と、しわが少し増えた家内と二人、早送りでビデオ鑑賞した後で、娘たちの結婚式をDVDで見た。娘は家内ほどべっぴんではないけれど、新しい息子はあのときの私よりずっと落ち着いていた。本当にありがたいことです。

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2008年9月16日 (火)

天気のこと

 ここでの暮らしはお天気まかせです。

 大風が吹けば、家がゆれるし、作物は倒れる。大雨は屋根をたたくし、畑の土を流す。晴天が続き谷の水が減れば飲む水も、田にひく水も心配になる。

 空もようだけでも、心配の種は尽きない。

 やってくるだろう台風は、もう少し実らせたい稲を倒してしまうかも知れないし、家族みんなで刈り取り一束ずつ干した稲を棹ごと飛ばしてしまうかもしれない。

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私にできることは、家の周りにある飛びそうな物を、うろたえながら片づける程度です。でも、今の時代を生きるものとして、風を恐れ、雨を心配することは、幸せなことかもしれないと思っています。

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(新入りも活躍)

 

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2008年9月14日 (日)

FSCが教えてくれたこと

 娘夫婦も来て昨日今日稲刈り作業をしました。それに今日は、年貢として米などを納めているUさんご夫妻も収穫作業に参加しました。「年貢を頂くだけでは悪いから」らしいのですが息子が言うには「昔から年貢を受け取る人は、相手の苦労を知ろうとしてはいけない」らしい。

 稲刈りは、コンバインでサーッと刈るのではなく、バインダー(稲刈り機)で人が早足で歩くスピードで一株ずつ刈ってゆくのです。そして刈取った稲は、田んぼに作った物干しに1束ずつかけて、お日様と風で乾燥させ脱穀して蔵に入れるのです。

 この機械は、稲を刈る機能と束ねる機能そして一輪のタイヤが集合したものです。刈るところはバリカンの少し大きなものがついており左右にスライドすることで稲を刈ります。 もうひとつ大切な機能は、バーが下から上に向かって動き、倒れた稲を起したり、束ねやすいように稲をまとめる役割を果たすものがついています、エスカレーターの階段が棒状になっていると考えてください。これもバリカンも結束機能も摩擦が大敵なのでタンクに入った油をレバー操作でさすようになっています。

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 我が家ではこのタンクに食用油を入れるようにしました。この秋からはじめたことで、機械にどんな影響があるかは分かりませんが、気分よくやっています。

 思いついたのは以前龍神村森林組合が取り組んだFSC(森林認証)からです。その中に環境負荷を小さくする取り組みがあり、チェーンソーの飛ばし油を植物性のものにする取り組みがあった。認証維持経費の関係で今は認証がありませんが、自然負荷を小さくする活動は続いています。

 田んぼへの環境負荷軽減として、我が家の取り組みがこれです。

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2008年9月12日 (金)

にっこり

 そろそろお月見の季節。日中は暑くても空気が乾燥しているから夏の暑さとは違うものがあります。

 今日は、おばあちゃんも参加して、稲はち(脱穀)をした。先日刈取ったもち米はその後良い天気が続いてくれたので、稲穂のモミを噛んでみたらコリッと歯ごたえがしました。乾燥はばっちりです。朝ご飯のとき「3袋くらいはとれると思う」と少なめに宣言したら、急におばあちゃんは黙り込んだ。意気消沈です。おじいちゃんは「そがなこたぁ無い。なあ、おばあちゃん」助け舟を出した。

 午前中勤めに出て、お昼前に帰ってきた。朝のうちハーベスター(脱穀のための機械)は田に入れておいたので、スタンバイできている。田んぼでお母さんが作ってくれた弁当を食べ終わり仕事にかかろうとしたらモミを受ける袋を忘れていた。結局、家でご飯を食べてきたお母さんとおばあちゃんと息子の到着を待って稲はちをはじめた。

 終わってみると、おばちゃんはにっこり、でも疲れたのでしょう「わしゃぁ、もういぬ(私はもう帰る)」と言い、家に送りました。宣言の約2倍のもち米が採れたのでした。

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思案の末に買った本、月齢で農作業を考えるというもの。古くからの林業と同じですね。

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2008年9月11日 (木)

豪華な食事

 取り立てて言うことでもないのですが、うちの食事は豪華です。

 何気ない、いつもの食事ですが、定期的にやっぱり「うまい」と感じることがあります。

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 昨夜は、コロッケ作ったついででしょうか、豆は天ぷらナスは揚げ浸し、それにトマト。たいがいの食材は自家製、特にコロッケは、中身は皮まで入った南瓜コロッケ。でもこの緑がきれい、箸を入れて割ったら見た目から美味しい。口に入れるとまた食感がたまらなかった。食材でひき肉と卵とパン粉に油が買ったり頂いたものです。

 他にも一品ありました。おはぎです。彼岸にはまだ早いのですがその日を待ちきれず作ったようです。もち米も小豆も自家製。

 家族みんなで育てて収穫した食材を使い、家の者が料理したものをいただく。うちの食事は質素ですが豪華です。 

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2008年9月10日 (水)

うっふ

 ラブラドールのオス犬「うっふ」は我が家のぺッ・・・・大切な家族です。

 たまごっちが流行った頃それを買うかわりに飼い始めた命あるやつがうっふ。たまごっちのかわりだからフランス語でたまごという名をつけた。

 谷沿いにある我が家の秘密基地周辺は岩場が多い、その谷から30メートルも上がると、木を里まで出すための馬道があります。馬道は、昔、樫の木などでそりを作りそれに丸太を乗せて人が引っ張って出していた道です。

 うっふが元気いっぱいだったころの散歩は、家から秘密基地まで歩くことでした。遊びはそこから馬道へ行き、フリスビーを谷に投げそれを見つけ取ってくるというものでした。「まて」をさせてフリスビーを投げる。「よし」で走って谷に落ちたフリスビーを取ってくる。時には谷の向こう側の山肌に落ちたりしましたが、それでもすごい勢いで走りとって帰ってきました。

 2年ほど前からは腰の調子が悪くなり、その遊びはできなくなりました。奥さんで黒ラブのシェリーは軽トラの荷台に飛び乗りますが、うっふは腰が痛くて荷台には乗れず「いやいや」をして助手席に乗ります。最近はさらに調子が悪くなったのでしょう。助手席にさえ乗ろうとしませんから、遠くには行かず周辺を散歩しています。

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 おじいちゃんとは、大の仲良しで「お前も腰が痛いか?」などと慰めあってよく話をしています。昨日も私が仕事で町に出るのを知ったおじいちゃんが腰を押さえながらやって来て「うっふのおやつを買ってきて」と注文を受けました。階段が苦手になったうっふでしたが、おやつをもったおじいちゃんのところへは階段を上り、帰りは「いやいや」をして、いつも寝ている玄関には入ろうとはしませんでした。

 うっふは、ただの食いしん坊なのかもしれませんが、私たちは、そろそろ心の準備が必要です。

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2008年9月 9日 (火)

土佐日記

 夏休み。娘の友達が我が家に来てくれた。そのお嬢さんは高知県の出身でおみやげにと地元の銘菓を下さった。高知から直接龍神へ来てくれたわけではないので、おうちの方の手をわずらわせたとは思うけど、彼女の心遣いがうれしかった。

 いくつかのおみやげの中に懐かしい土佐日記が含まれていた。このお菓子は箱が和綴じの本のように作られており、ページを開き中にお菓子を頂くというものです。この箱が懐かしいのは、ずっと以前この箱をペン入れに使っていたことを思い出したからです。

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 高校時代の恩師『登地先生』に箱を頂いたような気がするのですが、確かな記憶はありません。使い勝手が良いわけでもなく、高級な箱でもなく、でも大切に使っていた。そしていつの間にかなくなったのが土佐日記の『箱』です。

 娘の友達が、お菓子とはいえ紀貫之の土佐日記を私たちに届けてくれるのには何か意味があるのでしょうか。例えば「娘を大切にしろ」とか。多分そのようなことはなく、ただ高知のお菓子としてでしょう。

 ただ、登地先生の思い出が重なると何かメッセージがあるような気がします。先生は私たちに「これでもか」と教える人ではなかった。先生から頂いた文庫本は今も本棚にあるけど、そのような形あるものや、言葉ではなく表現しにくいけど多くのものを頂いた。あえて言うなら『後から気付く学び』でしょうか。

 登地先生と、かわいいけどきりっとしたものを持ち合わせた土佐のお嬢さんを思い出す新しい土佐日記の箱をペン入れとして引き出しに入れておこうと思う。

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2008年9月 8日 (月)

みんなの夕暮れ

  日曜の夕方、成長した草が電気柵に触れると、電気ショックの効果がなくなり、いつイノシシやシカが入ってくるかもしれないから、田を囲った電気柵の下を草刈り機で整理し終わった5時過ぎ、まだ『中』(屋号)の『まーやん』(愛称)は稲刈りをしていた。

 草刈り機を片づけに下の倉庫まで降り、家内を誘うと「さっきから気になっていた」らしく早速手伝いに行くことにした。家内はいったん畑に行き自慢の南瓜を抱え、まず、さおに稲かけをしている『長やん』とこの『さとみさん』に渡し、稲かけを手伝って、それから一旦下に降り、また南瓜を抱えて坂道を上がってきた。

 『まーやん』とこの『やえさん』へのおみあげもその南瓜でした。まーやんの話によると、先日来の雨で倒れた稲を起こしたけど毎日雨だったので、今日は無理に刈ったらしい。田は下手に足を踏み入れると動けなくなる位いぬかるんでいた。その中でやえさんは散乱した稲穂を片づけていた。

 これは大変と少し不安を持ちながらさおを準備し、稲をかけ始めたら長やんが来た。用事で出ていた息子さんも帰り、6人での作業となった。今度は正義の味方みたいに『とし君』と『みどりちゃん』が来て、8人でワイワイ言いながらの作業となった。ぬかるみに足を取られながらも、日が暮れるまでに作業は終わった。

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稲かけが終わり西明からながめる、夕暮れの雲は絵本のようでした。

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2008年9月 7日 (日)

 もち米を刈った。

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 バインダーと呼ぶ稲刈り機を使って刈取り作業をするのですが、ちょっと大きなバリカンとそれで刈取った稲束をひもでしばる機能がセットになって、動くのが稲刈り機です。単純な機械ですがそれだけに使いこなすには年季がいります。

 使っている機械は一輪で、刈りながらその刈取った稲株を踏んで進みますから、少々ぬかるんでいても作業できます。ただ一輪ですから微妙なバランスがとり難くこれを真剣に制御しようとすると体が疲れます。ですから気まじめな人は使えません。私はエンジンを吹かして適当に走ります。

 それはともかく、良い天気に恵まれ、ゆっくり稲刈りを楽しむことができました。午後はいつものように、おじいちゃんたちの手伝いが本来ならあるのですが、おじいちゃんは腰の具合がまだ悪いので、おばあちゃんだけが来ました。家内、息子と私の3人で十分すぎる作業ですが、稲刈りは何といっても我が家の一大イベントですから、参加者は多いほうが良い。

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 季節の区切りとなる仕事には、少しでも両親に手助けをしてもらうようにしています。そうすることで、家族としてのつながりを守っているだけでなく、何となくこちらが安心できるところがあります。最近は、季節の作業に家族みんなの手をかけることが私たちの小さな喜びだったりすることに気付き始めました。

 

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2008年9月 6日 (土)

自由に生きるやつ

 家で出る残飯や野菜屑はたいがい堆肥として利用する。

 長さ2メートルの板を4枚使って四角い枠を作りそれに残飯などをいれ、分解用に土をかける。カラスに食べられないようにトタンをかぶせ、タヌキが来ないように電気柵で囲い夜には電気が流れる。この方法で残飯を使った堆肥作りをはじめて4~5年になる。この堆肥プラントを2つ連ねておけば新しいものを追加していく場所と、じっくり熟成させる場所が確保できるのです。

 ところがこの堆肥を田畑に入れたことがない。なぜなら熟成させるところから、芽を出した野菜が立派に育ち、堆肥としてよそに運ぶ隙を与えないからです。そして今、南瓜が育ち堆肥プラントを覆ってしまった。

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 益々つるは成長し、上は愛ちゃんの田んぼまで伸び、横には消防小屋の周りを囲んでしまっています。これで前の道を車が通らなければ道路も占領していたと思う勢いです。好き勝手に伸び放題につるを伸ばし、病気にもならずたくさんの実を育て、自由に生きています。周辺の迷惑も考えず『この南瓜がどこまで伸びるか』時々我が家の夕食の話題になります。

 ストレスのないここの「自由南瓜」を食ったら、風邪をひかず冬を越せるかもしれない。

 

 

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2008年9月 5日 (金)

働き者

 おばあちゃん(母)はひどく働き者です。

 11月で81歳になる母は、じっとしているのが一番の苦痛みたいです。ですから一日を寝ているか、動いてるいるかのどちらかで過ごします。厄介なのは、寝て英気を養いますから、起きた時は記録に挑戦する運動選手並の行動をする。例えば鍬を担いで国道を横切ったり、鍬を担いで坂道を何とか上がるなど、その様子を見たものはハラハラものです。

 自分が何かピッとひらめくと畑に出たり、台所に立ったりする。足元がおぼつかなかったり、火が危なかったりするので家族によく咎められる。だから最近は「おばあちゃん何処行くん?」て聞いても、まずい時は返事をしない。聞こえないふりをするようになった。

 今朝、麦を干そうとひとりで大騒ぎしていたので少し手伝った。母はシートに麦を薄く均すようになると、履いていたスリッパを脱いだ。そういえば子供のころ、莚(むしろ)を踏んだだけで尻を叩かれた。莚は、その上に膝はついても良かったけど、足で踏んではならないと教えられた。 自分が働きかけたからとはいえ、自然からの恵みを干したりするのに使う莚を足で踏むことは許されなかった。

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 記憶をたどってみると、きつく言われたのはそのようなことだけで、母は声を荒げて私たち子供を叱ったことがない。あの時も黙ってたし、あの時もじっと見ているだけだった。

 働き者のおばあちゃんに、もう少し優しくしなければならない。

 

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2008年9月 4日 (木)

秋の始まり

 秋の始まりです。

 朝の散策に出る林道は、100年の杉が立つ場所です。そこは杉木立の中も、林道をつけるため削りとられた岩肌にも、たくさんの植生が広がっています。北向きでいつも湿った岩場にイワタバコが育っています。8月初めに咲き始めた花は、お盆を盛りにだんだんと少なくなり、今朝1輪も見えなくなりました。この花が散ったら秋と決めている私にとって秋の始まりは今日です。

 この紫で小さな花を虫眼鏡でじっと見ると、立派な花に劣らない凛とした個性があります。さらにずっと眺めていると「大自然だ・絶景だ」などと、自然や風景を比べることが無意味に思えてきます。

 だからこの花が立派だというのではなく、そんな気分にさせてくれるというだけです。きっとこの花が秋という季節をおしえてくれるからでしょう。そして、本当に大切なことは何だろうと、考えさせられる。

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――田んぼに行くためはいた長靴、違和感があると感じながら歩いた。けどやっぱり「変」脱いで逆さにしたらカニが出てきた。あ~ぁ無事でよかった。私の足――

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2008年9月 3日 (水)

水切り

 西明の刈り取りが順に始まった。

 春の朝、この場所から見た薬師堂のクスノキは後光が射したように見えた。今日の午後の雨は夕方には止み、薬師堂や宮代谷を霧で隠してしまった。

 早い人は5月の連休頃に田植えをはじめていた。それから4ヶ月で実りの季節を迎えた。一番先に刈った『竹馬屋』の『長やん』は、その分を、こないてしもうた(脱穀してしまった)。『むねがいと』の『とし君』も刈り始めた。私の田はやっと水を切った(畦の水落とし口にある水調整の板を取り除き田に水が溜まらないようにする)。田植えが他の家より二十日以上遅れたので、これくらいでよいと思う。

 今年は、まだイノシシもサルも田に下りて来ていない。稲は穂をつけ頭を下げて、例年にない出来栄えです。おじいちゃん(父)から稲作りを受け継ぎ、化学肥料を使わなくなり、その分手間がかかるようになった。手間をかけた分、米の収穫量のことよりも、稲が元気に育ってくれることが目標になった。

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 稲の株の間には雑草がいっぱい生えて、見た目は悪いけど、元気に育ってくれた。

 この黄緑が黄色に変わる頃、汗まみれになって収穫作業をすることになります。そしてこの間まで稲に「がんばっとるなぁ」とか「頑張れよ」とか言っていたのに、今度は地面に向かって「ありがたいなあ」って作業に疲れふらふらになりながら、呪文のように言うのです。

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2008年9月 2日 (火)

秋の匂い

 季節にはそれぞれその匂いがあります。

 季節のにおいを話題にすると、よく「何の匂い?」とか「どんな匂い?」と聞かれますが、今の季節で言うなら「秋の匂い」としか言いようがないのです。そしてそれが、ずっと匂っているわけではなく一瞬なのでよけいたちが悪い。そのかわり、匂いを共有できた時の感動は大きい。

 我が家でその匂いに共通の感じ方をするのが末娘です。たまに電話で「今日(季節の)匂いがした」といった電話が来る。確かに彼女の居る場所で今、私が感じるのと同じ季節の匂いがしている。そう確信できる理由は、娘が小学生のころだったっと思う「夏のにおい!」を一緒に感じたことがあったからです。その後時々声を合わせて「水泳の匂い」とか同じ「匂い分類法」が共有できるようになった。

 加齢臭が気になる年齢になると、心の中に『匂いのファイル』ができ、匂いでそれにまつわる思い出が、アルバムのページをめくるように浮かんでくる。ゆずの香りはあまりにアルバムが厚すぎるし、お茶の香りは30年も以前に亡くなった私のおばあちゃんを思い出す古いアルバム。

 誰にもかいでもらえない匂いのアルバムも、匂いを感じるごとに心の中で整理してみるとなかなか楽しいものです。

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( ― 百日紅 ― )

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2008年9月 1日 (月)

避難

日曜日は災害時の避難訓練がありました。逃げる練習です。前回は避難所開設訓練、今年2回目の訓練です。

 朝8時、訓練を告げる放送が流れた。事前に聞かせれていても、何を持って行こうか悩みながら放送が流れてしまった。ポケットに飴玉とペン帽子をかぶって傘持って出発です。

 この訓練は龍神村の上山路(かみさんじ)地区全域で行われるらしい。私が生まれた昭和32年はすでに龍神村と呼んでいたのですがそれ以前は上山路村と呼ばれていたそうで、そのころ日高川沿いに4つの村があり、上流から龍神村、上山路村、中山路村、下山路村という名でした。各地に一校づつ中学校がありそれぞれ村の名が付いていました。

 上山路には、宮代、西、丹生ノ川、殿原、東と5つの大字があり、今もその地名を使っている。近年小学校へ通う子供たちも少なくなり、次の春この上山路地区の小学校は統合されひとつになる。その名は上山路小学校と決まったそうです。

 田舎に暮らすことがよいことだとは言い切れませんが、食糧や木材生産できないところに人が集まって、食住の供給場所から確実に人が少なくなってきている。

 予想される大規模災害も怖いでしょうが、忍び寄る食住の危機を感じていないのだろうか。このままだと、どちらも確実にやってくる。

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(香りの木の下で)

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