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2009年1月26日 (月)

宮代小学校

 130年の歴史がある宮代小学校もこの春で閉校になる。

 学校が始まった頃は、通う子供たちも少なかったのでしょう。集落の中に3ヶ所ほどある学校跡の小さな碑が立つところは、いずれも家1軒がやっと建つほどの狭い場所です。当時子供は多くいたでしょうが、経済的にも労力の面でも子供を学校に通わせることのできる家庭は少なかったのでしょう。次第に通える子供たちが増え今の場所に移り大きな校舎にかわったのです。

 始めの頃、運動場がなくて宮代オートキャンプ場になっている五味(地名)の前の河原を父兄が均し、運動会をしたこともあったということだ。

 私たちが通った40年ほど前は、木造校舎、運動場は今の7割くらいの面積。山手は石垣が高く積んであり、その石垣の中央には山にくい込む観覧席のような場所があった。誰も行かなかったが『かっこええ場所』でした。

Img_6182 (小学一年)

 冬には教室に石炭ストーブが燃え、ストーブに近い席の子は熱いし、離れた子は寒い。火の管理は着火作業から子供たちの役割でした。煙突掃除をさぼると火付きが悪く苦労した。教室中が煙だらけになることもあった。与えられた石炭の量は学級ごとに決まっていたので、使ってしまうと授業そっちのけで山へ木を拾いに入ったりしたものです。秋の終りに先生が畳一条深さ80センチくらいの穴を運動場の端に掘る。冬が過ぎ暖かくなるころにはその穴がストーブの灰でいっぱいになっていた。

Img_6180

(姉と二人三脚→先頭走ってます)

 全校児童数が90人余りでしたが、にぎやかだったころの話です。

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コメント

自分が生まれた土地でずっと住めるってすこーし羨ましい。小学校入る時にはすでに生まれた土地を離れてて、入学したのは東京都江戸川区。学校の壁には空襲の痕があり、住んでいた家の周りは空襲で焼け跡で、ドラえもんの漫画に出てくる原っぱそっくりでした。でも、昭和の子供たちってどこもあんまり変わらない雰囲気ですね。

投稿: とちねこ | 2009年1月28日 (水) 23時49分

長靴はいて階段に座っているのが私だよ。ほんと昭和の子供たちは大人になってもかわいいよね。

投稿: 英 | 2009年1月29日 (木) 20時53分

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