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2009年1月27日 (火)

宮代小学校 Ⅱ

宮代小学校は、この春で閉校になる。

 昭和32年生まれの私は、宮代小学校が木造校舎だったころに入学し卒業した。入学のとき宮代の小川建設が講堂を建築中だった。名目は僻地(へきち)集会所だったので子供たちは「講堂」と呼んだり「へきしゅう」と呼んでいた。ほぼ今の体育館と同じ場所に建っていた。

 「へきしゅう」ができるまで児童会等は、教室の壁を取り外し二教室を一つにし、子どもたちは自分の椅子をそれぞれの教室からその部屋に持ち寄って行われた。校舎の山側に廊下が給食室まで続いていた。廊下に窓はあったけど戸がないので、中庭から廊下へあがるのに戸をあける手間はいらなかった。

 便所は、校舎とは別に中庭をわたった向こうにあった。男子トイレは仕切りがなく、溝に向かって用を足すような感じだった。すぐそばの女子トイレには、仕切りはあったけどドアがなかったように思う。(間違ってたらごめんなさい)戸のついた便所もあったけど、「ウンコしている」と思われたら恥ずかしいからか、みんなは使わなかったようだ。

 教室や『へきしゅう』の上履きは、わら草履だったように思う。掃除用のほうきは家の近くの棕櫚(しゅろ)からはぎ採った皮で親たちが作ってくれたのだった。卒業のころには、上履きもほうきも今時のものに変わっていた。

Img_6192

 教室の大掃除をしたことがある。先生が教室の床板を一枚はずし、教室にバケツで水をぶちまけた。ブラシを持たされた私たちは、その水を教室の端から床板のはずされた穴に追いやった。この非常識な大掃除は本当なら楽しいのでしょうが、それが冬だったせいか、始めは燃えた記憶はあるけどあとのことはおぼえていない。

 小学校が木造校舎だったころの思い出です。

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