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2009年5月

2009年5月31日 (日)

田の名

 我が家の田には全て名前がある。

 父から作業を受け継いだとき、名の無い田もあったので、家族で話し合って決めた。

 丸田、腰切れ、大田、岡田、沼、三角、長通り、柳田がもとからある名前。

 チリ、腐れ木、水取り、黒酢、穴、ごん田、本田、高月が後からつけた名です。

 どの田にも、名前と面積が書いており、田植えが済むと稲の品種を書いた板をつるし、収穫が済むまでそのままです。

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 これを見ると、岡田に『もち』を植えたのが通りかかった人にさえわかります。このような作業をすることで家族には、面積や収穫の多少にかかわりなく一つの個性を持った田にかわります。小さな田一枚が、次の田に水をつなぐ役割があったり、獣の被害を一手に引き受けてくれる田だったりする。

 人に名があるように田にも名があったほうが良いと思う。棚田の田は稲を育てるだけではなく、多くのかかわりの中で、微妙なバランスの一端をそれぞれが担っているのです。

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2009年5月30日 (土)

わさ植え

 わさ植えは田植えの始まりのことを言います。昨日は、時々雨が降る中で今年の田植えをはじめました。

 田起こし、ひて田、田植え、いつも一番山際の丸田(田の名前)から始めます。収穫は逆に道路沿いから始めます。田んぼへ入る畦道は狭すぎて機械が通れず、田んぼの中を移動するのでこのような段取りになります。

 何故か節目の日には『おさやん』が現れます。そして何か一言言ってくれます。昨日も田植えの作業にかかると、ちょうど通りがかり車から降りてきてくれた。

 「やりつけたのう(頑張って仕上てきましたね)」から始まって様々な話をしてくれた。今回は、雨が降らないけど、自然に任せてゆっくりやりなさい・・・・と言ってくれた。おさやんによると、自分という字は自然から分かれると書く、自分という人間は自然の一部だから、自然に対して逆らったりせず、おごりも持たずに生きなければならない。と言うような内容だった。

 帰り際には「麦は刈って干しておいてくれたら、こなして(脱穀して)あげる」と、訓示だけでなく手助けの約束までしてくれるのもありがたい。

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 今朝、田植えのすんだ丸田の早苗は立ち上がり、雨上がりの西明(にしみょう)には霧がかかっていた。

 

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2009年5月28日 (木)

龍神村にたこ焼き屋さん

 最近村の中にたこ焼き屋さんができた。

 龍神温泉から小又川に入ってしばらくいくとその店はある。開店は朝10時だと聞いて、その時間に行っても鉄板を温めていたら待たなければならないから、11時過ぎに行った。

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 そんなに車が通るわけでもないし、近所の子どもといっても数えるほどの場所で店を出すのは大変だろうと思ったら、私が買っているときから人が来て、帰る時また別の人が来た。

 急いで家に帰りみんなで食べた。「このたこ焼きゃぁ、うまいなぁ」たこ焼き評論家のようにおじいちゃんは言いました。

 この『たこやき あい』は龍神温泉から車で5分。手作り豆腐『るあん』から龍神温泉に向かって少し行った家の周りにいっぱい犬がいるところです。

定休日は、水曜(なっとく)と土曜(よう分からん)だそうです。

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2009年5月27日 (水)

さくらんぼ

 西ノ岡の『腐レ木』という田んぼのそばにさくらんぼの木がある。

 手入れは何もしていないが毎年小さな実を沢山つける。さくらんぼが赤くなるとヒヨドリがやってきてついばむ。今年も私が2粒3粒食べただけで、残りは全部食べられてしまいました。「家にもって帰ることもしなかった」と少し後悔しながら、見たらいくつか時期外れの赤い実が見えた。

 木のそばに行き、立ったりしゃがんだりしてよーく探してやっと家族分に2個多いさくらんぼを摘んだ。家に帰ろうとしたら、Mちゃんが歩いてきた。「なにょうしよんので?(何をしているのですか?)」説明をして甘そうなのを選び実家に帰っている家内の分としてひとつあげた。

 家に帰り朝ごはんの後で小さなさくらんぼをひとつずつ食べた。息子の分はすっぱかったらしいが、私のはたいそう甘かった。おばあちゃんはモグモグ食べたけど感想はなかった。おじいちゃんは『甘いな』といった。

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 さて残ったふたつをどうするか。明日は新しい息子の誕生日だから、真っ赤なさくらんぼを娘の分とふたつ送ろうと実は摘むときから決めていた。

 たまや(近くのお店)で買った箱いっぱいのお菓子と、二粒のさくらんぼ、それにおばあちゃんからの手紙が誕生日のプレゼントです。そろそろ彼らの元に着くはず。

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2009年5月26日 (火)

ホワイトボード

我が家には大きなのが2枚、中くらいが2枚、小さいのが2枚のホワイトボードがある。

 台所には、主に両親の通院日を書くひと月の予定表、日ごろの会話から気付いた方言などを書くもの、今日しなければならないことを書くもの、3枚のホワイトボードがある。

 事務所と読んでいる部屋には案内の予定を書く。

 秘密基地にもそのとき気付いた事や感動を書くためのものがある。

 棚田のある西明に農機具などを入れる小屋があるのですが、そこにも1枚置いています。

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 この以前はしいたけの乾燥場に使っていた小屋にあるホワイトボードには、田んぼに来た人が好き勝手に記録をしています。仕事の段取りだったり、感想だったり、日記だったり、みんなに分かる内容だったり、自分だけが分かることだったり様々です。消すに消せないものもあるし、消されたら困ることを裏側に書くひともいる。

 忘れず伝えなければならないこと、照れくさくて言葉にできないこと、我が家では、様々な場面でホワイトボードが登場する。

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2009年5月25日 (月)

高月

 我が家で一番小さな田が高月です。

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 田んぼには全て名前があり、それぞれ看板を立てております。

 この高月は、数年前まで『たくやんの横の小田』と呼んでいました。家の棚田で一番下にあり、ここから見る月は同じ月でも一番高い位置に(遠くに)見えるから高月です。

 10坪位の小さな田ですが、名前は文学?だったり宇宙科学?だったりしますからたいしたものです。

 昨年までトマト、キャベツ、エンドウなどの余った苗を植えていましたが、今年は田として復活してもらう予定です。先日から、時間を見ては息子が片づけをしてくれていたので朝から草を焼きました。

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手間はかかるのですが、この狭さは貴重です。

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2009年5月24日 (日)

宮代小学校タイムカプセル

 宮代小学校は130年の幕を閉じた。

 閉校にともなって様々な記念行事があったのですが、今回が最後でタイムカプセルに記念の品を入れて埋めました。

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 地域の人やら宮代小学校最後の年に勤務されていた先生方も集まってくれていた。穴を掘って埋めるという行為はいざやってみると、せつないものがあった。

 掘り出すのは誰が決めたのか30年後だそうです。そのときの人たちは、掘り出すのにわくわくするのだろうか。

 タイムカプセルに詰め込んだ品は、宮代地域の今をあらわすものが多かったように思う。私たちはそれらの物以外に、宮代小学校の130年の歴史も埋めた。せつなさの元はそれだったのかもしれない。

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2009年5月23日 (土)

天気の都合

 やっと田に水をはったのですが、谷の水がなくなってきました。

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 そろそろ雨が降ってくれないと結構深刻です。今朝も、土が現れた田を見ていてため息が出た。畦塗りでもするかと顔をあげたら、目の前に収穫を打ち切って残したゼンマイが青々と茂っている。さらに目を上げると緑一色と思われた山ですが、それぞれの木が黄緑色の新芽に縁どられている。

 私というヤツは、不都合ばかりをさがし、そのことをくよくよ考えているようでおかしかった。

『どうってことないか』人の都合で稲を植えるより、天気の都合で田に接していこう。

この後、薬師堂前の柳田に行ったら、田には満々と水がたまっていた。

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2009年5月22日 (金)

おじいちゃん

 父は大正15年生まれ、私たち兄弟が幼かった頃、姉と兄は『お父さん』と呼んでいたが、何故か私と妹は『お父ちゃん』と呼んでいた。今はみんな『おじいちゃん』と呼んでいる。

 父の古くからの友人は、『おいやん(おじさん)』と呼ぶ。うちで育った兄の子(私たちの従兄弟)が親がわりの父のことをそう呼んだからで、そのころ若かった父を年上の人までが『おいやん』と呼ぶようになった。

 戦争に行ったとき、つまづいて倒れた父の背中を台車に載った高射砲が通ったけど、無傷だったというのが自慢の父ですが、体力も衰え怪我をすることも、体調不良で入院することも多くなった。

 息子が言うのもなんですが、お人よしでお調子ものですから人には好かれるようです。

 昨日、入院中の父からカテーテル治療だと聞いた。今日午後『また心臓が止まったらどうしよう』心配しながら病院に行くと検査だった。検査の結果、明日の退院が決まり急に陽気になった父は早速、若い看護士さんに「看護婦さんに出会えんようになると思うたらさみしいな」などと笑顔で話しかけていた。

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 庭のリョウブはもうすぐ白い花をつける。

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2009年5月20日 (水)

あぜぬり

 田んぼの水が持つようにあぜぬりをします。

 棚田では、一枚の田にそれぞれ畦と岸があります。岸は山側で畦はその反対側です。棚田の形からするとやはり畦側の水漏れが一番怖いのであぜぬりは大切な作業です。

 最近は、畦波と呼ばれているものを畦にセットして、畦塗りをしない田も多い。私の家も面積の約半分が畦波を入れています。

 畦塗り作業は、田に水を引き入れ耕運機でかき混ぜて「ひて田」にして土が落ち着く1~2日後にします。畦の土を薄く床(水漏れしないように田んぼの底は赤土で固めている)まで作り土を取り除き、そこに泥土を塗りつけていくものです。

 時間はかかるし、腰は痛いし、体は疲れるしって作業です。

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 この畦塗り作業は修行みたいなところがあって、とにかく同じ動作を繰り返さなければ終わらない。手を抜くと水が抜ける。秋まで水が持つように願いながら作業を続けるところに良さがある。

 「明日も良い天気になるでしょう」などとお天気お姉さんがテレビで予報を言っているのを聞くと、何が良い天気だ!谷の水は少なくなり雨がほしいところだ。

 この季節いつも谷の水が少なくなる。畦塗りしながら気付きました。雨が降らないからではなく、木が動き始め根からいっぱい水を吸い上げているから谷水が少ないのだろう。

 顔を上げると、夕日のあたった薬師堂のほうの木々は生き生きとしていました。

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 木たちは「田に引き入れる水を大切にすること」を今のうちに教えてくれているのでしょう。

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2009年5月19日 (火)

イチゴジャム

 昨日摘んだイチゴは夜のうちにきれいにして、ジャム用に砂糖をまぶしておいた。

 畑に行っている間は元気だったおばあちゃんでしたが、離れに帰ると気分が悪いと言い出した。息子と二人で布団を敷くやら、冷やすやら、ひと騒ぎした。で、ご飯も食べないようだったので、自分たちの夕ご飯を離れに運びおばあちゃんのそばで食べた。

 「おかいさん(茶がゆ)でも食びょうかな」少し元気が出てきたので。おかいさんに昆布と蕗を添えて、夕ご飯を食べた。ひと安心でした。

 しばらくは様子をみるためそばにいようと、イチゴの掃除をしながらジャムを作る段取りを布団のそばで始めた。

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 イチゴをはかりにかけ、砂糖をいれ冷蔵庫に眠らせた。

 今夕からジャム作りを始めた。レンタン火鉢に鍋をのせ、元気になったおばあちゃんはしゃもじでかき混ぜる人。そして、時々味見をする人。

 日が暮れたころ、ついに完成というとき、親友がレモンを届けてくれた。一緒にスナックエンドウとジャム用のビンひとつ。

そしてそして、ジャムが出来上がりました。

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 さて、片付けです。「食パンがあったらなぁ」と言いながら、おばあちゃんとゴムベラで鍋に張り付いたジャムを集めてはなめました。

 この次は食パンを用意してから作ろうと思っています。

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2009年5月18日 (月)

イチゴ

「イチゴ摘みに連れってだ(連れて行ってください)」

 昼ご飯の後でおばあちゃん(母)がさそいに来たけど、やさしいとはいえ日ざしがきついだろうと思い、「じゃ、夕方にしようか」と約束した。

 普通なら、とうに自分で行ってしまうところですが、夕方離れに行ってみると待ちかねたように「連れってくるるかい」と嬉しそうだった。

 狭いところですが、おばあちゃんが植えたイチゴは真っ赤になっていました。

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 時々つまみ食いをするので「反則!」といいながら、私もいただいた。途中から息子も加わったので「お前も食え!」と共犯者を作った。

 おばあちゃんは、ポツリと「お母さんに帰ってきてほしいな」と言う。「来たらやかましいで、そいでも来てほしい」と聞いたら「心細いもん」という。

 実家の両親を看病するために帰っている家内は、私の母にとって母親のような存在なのだろうか。

 ほんのひと時でしたが、楽しかったり、かわいそうだったりしました。かごいっぱいのイチゴを摘んで3人で家に帰りました。

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2009年5月16日 (土)

モグラのトンネル

 朝は5時前に田んぼに出ます。

 ゆっくりでも朝と夕方に2時間ずつ作業を続けていると何となく楽しいし、その分だけ残った作業が少なくなります。

 時々残業もします。

 うちで一番大きな田は柳田といいます。そこに水を入れ始めて数日立つのに溜まってこない。近くの田を耕すおじいさんが「柳田の道路のところの角。あそこから漏れとる。と思う」夕方わざわざ教えに来てくれた。

 田んぼの名前を知っているのもおかしな話ですが、水漏れの場所まで言うところがおかしかったし、ありがたかったので「耕運機で混ぜとかんせえ」の助言どおり夕方から耕運機を運び入れた。

 畦際の土を平ぐわで避けて、そこを耕運機でかき混ぜる。辺りが暗くなるまでそれを繰り返して家に帰った。水を多く含んだ土をドロドロにすると、溜まった水が漏れなくなるのです。

 朝、様子を見に行くと大体溜まっていた。

 耕運機は昨夜のうちに別の田に移動したので、作業の残っているところを歩いているとごぼごぼと音が聞こえてくる。モグラのトンネルを通って水が抜けていた。

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 仕方なく土を取り除き、穴に石を詰め、まわりの土と水をくわでかき混ぜ、足で踏んで何とか水漏れはおさまった。

 棚田の端っこにモグラがトンネルを掘ると、恐ろしいくらい水を無駄使いしてしまう。

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2009年5月15日 (金)

蕗の佃煮

 朝、谷で蕗を採った。

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 自分の家の田んぼに接したところの谷に生えているものは、その田んぼの人が自由にできる山菜です。地元の人同士でも、他所の田に接した場所の蕗などは了解を得てからいただくのが決まりです。

 昼、家に帰りおばあちゃんと二人でこれを茹でた。「まだまだ、もうちょい」「もうそろそろやな」おばあちゃんの指導で作業はすすみます。

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二回に分けなければならないほどでしたが、40分ほどで茹で上げることができました。

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 おばあちゃんの明日の仕事に、蕗のかわはぎをたのもうかと思っていましたが夕方には終わっていました。

 水にさらした後、明日から蕗の佃煮を作る作業をしてもらう予定です。

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2009年5月14日 (木)

声の力

 朝、入院中のおじいちゃん(父)から電話がきた。

 家内の実家の両親のこと、着替えのこと、田畑のことなどを話した後、おばあちゃん(母)に電話をかわった。

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 「おじいちゃんかい?久しぶりに声ん聞けてよかったよ・・・・・」「今日はあの子らがお茶を摘んで・・・・」「昨日はフイキ(蕗)を摘んで・・・・」3分ほどの間に最近のことを全て伝え終わった。最後に「声ん聞けてよかったよ」で電話を終わった。

 長年連れ添うというのは、不思議な力があるようで、おばあちゃんは、おじいちゃん声を聞いただけで明るくなり、栄養ドリンク飲んだみたいに元気になった。

 この短い会話で、おばあちゃんは「声ん聞けてよかったよ」を4回言った。

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2009年5月13日 (水)

豊かさ

 シカに葉を食べつくされあきらめていた麦の収穫でしたが、春先にさとみさんから勇気をもらって、シカ避けの電気柵を2重に張った。

 昔ながらの筋植えの麦は、この一ヵ月半でヒョロヒョロッと伸び、穂をつけた。沢山の収穫は期待できないけど、何とか自家用の味噌を仕込むための麦は確保できそうです。

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 同じ田で、冬に麦を育て、夏に稲を育てることができるのは、日本と中国の一部だそうです。日本という国は何と豊かな環境にあるのだろう。しかも、私が耕している田の周辺は、近くの谷の水だけで何とか田を潤すことができます。

 ここでくらしているとその豊かさに気付かず、農業用水から一度に水を引き入れ田植え準備をしたいなどと思ってしまうこともある。

 本当の『豊かさ』は、今の時代の『便利』とは違うところにあるのでしょう。そのことをかみ締めながら、田植えの準備を続けます。

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2009年5月12日 (火)

虎ヶ峯 

 私たちのくらす龍神村から町へ出るのに越える峠が虎ヶ峯。

 虎ヶ峯にトンネルができて20年ほどになります。新しい道路から峠に立っている一本杉を見ることができます。

 先日、『新緑がすごいな』と町への下りにかかるところから一本杉のほうを見て、はたと気がついた。『これが虎なのだ』

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 一本杉から西に伸びる尾根からほぼ一定の間隔で何本も谷が下りている。きっとこれを虎の縞模様に重ねて名前を付けたのだろう。

 私がそう思っただけの話です。

 今度この尾根に夕日が当たるころ、じっくり眺めてみようと思う。虎が動くかも。

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2009年5月11日 (月)

お茶を摘むということ

 朝一番のお茶は仏壇にお供えします。

 ポットに温かなお湯があったとしても、水から湯を沸かしそれでお茶をいれ、ほんの少しを小さな湯飲みに注ぎお供えし、残りの多くを私たちがいただくのです。

 家には4箇所の自家用のお茶を摘むための場所がありますが、2箇所摘めばたぶん我が家の一年分は確保できると思います。ところがおばあちゃん(母)は、4箇所のお茶を摘まないと許してくれそうにありません。決して欲張りではなく、『与えられたものをありがたくいただく』ということだと、分かってきました。

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 おばあちゃんは、昨日むしろ3枚分摘んだお茶を、今日一日かけてほぐしたり、もみなおしたりしながら、お日様に干した。

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 朝一番のお茶をお供えするということは、そういうことなのです。

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2009年5月10日 (日)

おばあちゃんの茶摘み

 うちには大きく分けると4箇所の茶摘み場所がある。

 『西の岡』は2反で15枚の棚田になっており、その畦や石垣にお茶が生えている。柳田は田んぼの斜面。『新田(しんでん)』は畑の端っこ。『柿原』は林道沿いに。

 4箇所ともに、あそこに一本、ここに一本というふうに、自生しているお茶を刈らずに残してきたものです。

 今日は、おばあちゃんがどうしても「お茶を摘まなくては」というので、姉が来て、親友も助っ人に来てくれてお茶摘みをしました。

 お茶の木の前に立つと人が変わったみたいに張り切って摘み始めました。その早いこと早いこと、やっぱり年季が違います。

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 それが休憩になると、元のおばあちゃんに戻って、薬師堂の大きな楠の木陰にしゃがみこみました。そしてしばらくすると横になって寝てしまいました。

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 お茶を摘むことで、心配事はひとつ減り、私たちもほっとしました。

 夕方、茶摘みが終わって、西の岡のあぜ道を、おばあちゃんはおぼつかない足取りで帰りながら「ここで田植えが済んでないのは、うちだけじゃ」と言った。

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2009年5月 9日 (土)

丸田から

 田植えの準備は丸田(まるだ)から始まります。

 丸田はうちの棚田の一番上にあるからです。田植え準備は、秋に堆肥などをすき込みレンゲを蒔いていた田に、水を入れ耕運機で泥の田にかえる作業から始まります。これの作業を「ひてる」と言います。

 一番上の田に水を溜めひてておくと、下の田には順に水を落としていけば簡単に水をはれ、ひてるのが楽だからです。

 朝5時半ごろから田んぼでくわを使った仕事をしておき、6時を待ちます。あまり早くからエンジン音を立てるのははばかられるからです。

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 毎年『泥遊び』をしているようなもので、気が焦るからなのか、嬉しいからなのか、3時ごろに目が覚めたりするので困ります。

 田んぼの作業が出来る日は、朝から日が暮れるまで、田にいますから働き者のように思われがちですが、棚田を黒い影が走れば空を見上げ「トンビはええなあ」としばらく眺め

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 レンゲの中を虫が飛べば、追い掛け回す。

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 このようなことをして、夕方まで楽しく田んぼで過ごしました。

 今年も丸田から泥んこ遊びが始まったのでした。

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2009年5月 8日 (金)

庭の新緑

我が家の小さな庭のイチイが緑鮮やかです。

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 今年は何故かクマガイソウが咲かなかったのですが、しっかり株は広がっています。今にも枯れそうだった石楠花も元気になってきました。ゴヨウツツジは葉の縁がくっきり茶色になっています。

 庭師さんが、モチとモッコクを見ながら、腕を組んで「誰がこの枝を・・・・」その後それなりに枝の整理をしてくれて「これ以上は切らないように」と私に言った。黙秘権を使ったのに、犯人が分かっていたようだ。そのモチもモッコクも若い芽が出始めています。

 もうすぐリョウブに真っ白な花が咲く季節がやってきます。

 

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2009年5月 7日 (木)

雨あがる

 連休の後半は雨になり、朝の散策や、登美屋の案内も雨に濡れながらでした。

 稲のモミ蒔きの日も雨でしたが、例年のように車庫での作業ですから、ハウスに運び込むのだけが大変でした。5月5日に蒔いてまだ芽が出てきませんが、土が乾かないように水やりをします。

 昨日も夕方ハウスの中で雨音を聞きながら水やりを済ませ家に帰ろうとしたら、急に晴れ間が現れ、薬師堂のほうに日が射しました。

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 これからは、大雨を待ってみたり、お日様を有り難がってみたりの日々が始まります。明日、山際の丸田から順にひて田(耕して水を溜めた田)にしてゆきます。そして5月末から6月のはじめまでに田植えが終われるようにしなければなりません。

 気持ちは焦るのですが、うっふは「ノ~ンビリしたら?」って言ってくれます。

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 一生懸命 のんびりします。

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2009年5月 5日 (火)

慰霊祭

 昭和20年の今日、龍神村殿原にB29が墜落した。

 墜落の年の6月には慰霊祭が行われたと聞きます。今は墜落の日に慰霊祭が行われているわけです。

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 会場には、和尚さん、神父さんがおり、地域の檀家さんに信者さんも集まっておられた。私たちは、終わりのほうにやっと会場に着いたので、どのように慰霊の儀式をするのか見れませんでした。興味があるのですが毎年遅れてしまうのです。

 私たちの楽しみはそこで地域の人たちが催すバザーです。地元で採れた物、家の漬物、つきたてのもち、しばらく楽しんで帰りました。

 戦争末期に、敵兵の慰霊祭も不思議やし、和尚さんと神父さんが来て、神社の一角で慰霊祭をするって不思議です。

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2009年5月 4日 (月)

としやんの田んぼ

 中西のとしやんの田で、稲や野菜を作り始めて6年目をむかえた。

 今年はその一番上の田でピーマンを作る。

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 としやんには、私と年があまり違わない娘さんが三人いる。この連休でそのうちの二人が実家に帰ってきており、私たちが作業する近くで、畑の草を刈ったり片付けたりしていた。

 ピーマンの畝を見ながら、しばらく話をした。

 私は、息子がピーマンの畝を作ったけど、こんなに間を広くしているのは、土が浅かったからで、としやんはこの『作り土』の浅い田を、30年も40年もひとりで維持したものだと話した。田を潤す谷の水も少ないし、こうやって草を刈って片付けるだけでも大変だと娘さんたちは言った。

 田畑に働く親の姿を見て特別何も思わなかったけど、自分の体を使うと、みえてくるものがある。そのような話をしながら、息子も加わり四人でとしやんの苦労を思った。

 中西のとしやんが亡くなって、もうすぐ一年になる。

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2009年5月 3日 (日)

心配の元

電話に出たら、歩いて20秒の離れにいるおばあちゃんからだった。

 さつま芋のつるを挿したいから、畑まで送ってくれないかという内容を長々と話した。これから着替えをしたらピーマン畑に行くから付き合うと返事した。

 しばらくしたら勝手口から「行くときゃ、ゆうてよ」(黙って行くな)とおばあちゃんの大きな声が聞こえた。電話の後に念を押す・・・・さてはいつもの手を使ったなと感づいた。

 おばあちゃんは、計画通りにことを運びたいときに、電話作戦をします。可能性のある人から順に電話をし、自分の計画を進めるのです。

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 畑に行き、芋のつる20本を一筋の中に何のちゅうちょもなくきれいに並べた。

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 それを端から順に挿し土で覆う。10分ほどで作業が終わると、「わしゃぁしんどいさか、もう送ってくるるかい」(疲れたので家に送って)

 家の近くの畑の大部分は、すでにおばあちゃんの占領済みですから、1キロほど離れたこの畑を狙って芋のつるを手に入れ、計画を進めたわけです。

 芋のつるは買ったけど、植える段取りがつかない。心配で心配で夜も眠れなかったと、行き帰りの車の中で話してくれました。

 これでおばあちゃんの心配の元はなくなったけど、次はどのような作戦で来るか私たちの心配は絶えない。

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2009年5月 2日 (土)

ほっとする時

 五月の連休になると必ずやって来る叔母がいます。

 おばあちゃんの妹ですが、年の離れた姉妹なので親子のようです。盆にも来るのですが、何故か私の中では、春の風と、藤と、叔母がセットになっています。

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 スギやヒノキに巻き付いた藤のつるは、木の成長に悪いので嫌われるのですが、この時期だけは別です。日高川に張り出した木に藤色がきれいです。

 山の散歩道、足元を見るとシャガが咲いています。我が家の林道ができた頃には道から谷までいっぱい生えていたのですが、シカが全部食べてしまいました。

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 こんなきれいな花が咲くことをシカ達に教えてやる方法はないものかと思います。

 <藤とシャガ> 田んぼの準備で気ぜわしい春に、ほっとする時をくれます。

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2009年5月 1日 (金)

覚悟

 おじいちゃんは入院中です。

 毎日誰かが、おじいちゃんの様子を見に行きます。そのたびに感心することは、ほぼ1日1冊のペースで本を読んでいることです。この間は「これは面白い」と2回目を読みかえしていました。

 先日、治療中に調子が悪くなり、処置を受けました。私は、おじいちゃんのいないベッドのそばで、ある覚悟の元、帰ってくるのを待っていました。

 窓の外の景色に飽きて、ふとベッドを見ると、父らしくきれいに片付けられています。そして枕のそばには時計と読みかけの本とメガネがおいてありました。癌を克服したご主人が、その後に認知症になった奥さんを介護するのですが、その様子を記録した本です。

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 数時間待ちましたが、処置を受けた父はこのベッドには帰ってこず、別の部屋で看視されながら2~3日を過ごすことになりました。

 一緒にくらすということは、家族であれ、どのような形であれ、常にお互いに対して何らかの覚悟があるものです。

 今回はもうだめかなと覚悟した私でしたが、それだけに終わりました。たぶん、この部屋に帰る父は、『八重子のハミング』を読み返すことだろう。

 

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破れた障子

 一昨日の夜、さあ寝ようと布団に入ると、障子の向こうにお月様が見えた。

 風邪で寝ている家内を起こし、ここから見えると目の位置と障子の穴を教えた。熱が出ていてしんどいから少し感動して、「お月さんは動くの早いから」と、ひとに教えるのも良いが自分の感動を楽しみなさいというふうな事を言って寝てしまった。

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 冬に入ってすぐの頃、動きが悪くなっていた障子を無理に開けようとしたとき、手が滑って、障子を破いてしまったのをそのままにしてあった。

 お月様の位置と、障子の破れ穴と、私の寝床の枕の位置が、ぴったりになったのがうれしくて、少しずつ目線を上げることを繰り返した。きれいな三日月が大きく、輝いて見えることをしばらく楽しんだのですが肩がこる前にやめました。

 眠る前、障子を開けて見てみたら、イチイの向こうに普通の月でした。

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 きれいに張られた障子も良いけど、破れた障子も良いものです。

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