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2011年8月

2011年8月29日 (月)

稲の力

周辺の田んぼで稲刈りが始まりました。

5月はじめに田植えを済ませた家はやはり収穫も早い。一月余り遅れて田植えを済ませたわが家は、稲刈りに備えて畦や岸の草刈り作業中です。

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稲は田植えから4ヶ月ほどで収穫の時期を迎える。毎年、この時期になると昨年の経験を忘れ、稲の持つ力に感心する。

稲の力、見つけた人、田で栽培することに挑んだ人、力を信じ植え続けた人。

「人はパンのみにて生きるにあらず」と言う。本来の意味はさておき、人が生きるのに必要な成分を考えた時、小麦では生きられないけど、米だけで生きることが出来るという。

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わが家の田には、雑草の中に稲が立っているようなところもあるけど、出そろった穂が、風にそよぎながら色づきはじめました。

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2011年8月26日 (金)

小さなトマト

「家についたら一番におじいちゃん達の所へあいさつに行く」 K君は、迎えに行った車の中でそう宣言した。

K君とは、小学3年のときはじめて家に来てくれて以来6年の付き合いです。このお盆、中学3年の彼は、高校生になったらたぶん来ることが出来なくなるからと、5歳のR君に付き添うように、面倒見の良い先輩としてわが家にやってきた。

家に着くと、言葉のとおり離れに飛び込んだ。

物忘れがひどくなった母は、K君のことはすっかり忘れていた。しかし彼は、そのようなことは意に介さず、はじめて龍神へ来た時、おばあちゃんが作ってくれた巻ずしがすごくおいしかった事を一生懸命話した。

言葉は耳に入っても、私はその様子に目を向けることが出来なかった。

褒められたり、叱られたり、手伝いをしたり、笑ったり、ケンカしたり、おばあちゃんの手をひいたり、4日間を過ごして二人は帰った。その後、長年わが家とお預かりする子どもさんたちのパイプ役になってくれていた方に、K君とおばあちゃんと巻ずしの話を伝えた。随分思案して掛けた電話でしたが、話しながら向こうの明るさが伝わって来て、ほっとした。

生きていれば、子どもだろうと、大人だろうと、失敗の連続。良いと思ってしたことでも、良い結果になるとは限らない。失敗したことに目が向いてしまうと、小さな感動の芽を見失ってしまう。それは、草のかげに隠れた真っ赤なトマトのようなもの。

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もし、見つけたら、たとえそれが小さなものでも「トマトがあったよ」と、日のあたる場所で分かち合いたい。

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2011年8月25日 (木)

大切な一日

目がさめると出勤時間に遅刻しているというのが、若いころの私でした。

最近は、

朝は5時までに目がさめ、田畑に出たり、犬たちの世話をすることも、家の雑用を済ませることもある。自由時間を過ごし、朝ご飯を済ませ勤め先に出るのが6時45分、この時間だけは守ることにしています。

勤め先から帰る時間はさまざまですが、帰ると田畑に出て作業をし日が暮れると家に帰る。それから眠るまでの間に家族とどのような会話をするか、ケンカもするけどこの時間は大事な時間です。

夜は9時になるとあくびが出始め10時ころには寝床に入る。

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経済的な目線では、決して豊かとはいえませんが、『夜明け前に起き、日が暮れれば家に帰り眠る』こんな『豊かなくらしはない』 と、思っています。

あとは。正直に生きればそれで良い。のですが、これが出来ない。

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2011年8月23日 (火)

地蔵盆

御坊の家の見回りを引き受けてくれている方から、雨漏りの原因が分かったから立ち会って欲しいと連絡があった。午後、誰も住まなくなった家内の実家へ行った。

その方が説明をしてくださり、修繕の段取りまで引き受けてくれたので安心して龍神へ帰ることにした。長く家の修繕などをお願いしていたとはいえ、今も気にかけて見回ってくれることがありがたい。そのようなことを思いながら、日高川を上った。旧川辺町を過ぎ、旧中津村に入った辺りで、地蔵盆の飾りが目に入った。

ちょうど一年前、春に義理の母が亡くなったあと、義理の父が入院生活に入ったのを見舞いに行った帰り道の夕方、地蔵盆の提灯の明かりを通り過ぎるのがもったいなくて立ち寄ったのがここでした。

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(去年の様子)

その時の複雑な気持ちが思い出され、また、立ち寄らずにおれなくて、飾り付けの準備が終わって一休みしている方たちに、お参りさせていただきたいとお願いした。一人の方が「確か去年も・・・・」「はい、私です」と応えた。

日が暮れになれば子供達が集まってくるのか、流しそうめんの用意がしてあり、お地蔵さんには子供達が喜びそうなお菓子が供えられていた。

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生まれるもの、育つもの、送るもの、送られるもの、皆が同じ時を共有しながら絶えない流れに乗る。その中のたった一粒の自分。はかないからこそ、一生懸命生きなければならない。

去年とは少し違う感覚で地蔵さんに手を合わせた。

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2011年8月 1日 (月)

思い出すこと

予定を1日早めて土曜日に恒例の大掃除を行いました。

動かせる家具は廊下に移動して、悪戦苦闘。11時前には畳の部屋4つ分の床下が現れた。例年であれば薪ストーブの所だけを残すのですが、家内と二人だけですから、今年は和ダンスの下もそのままにしました。

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「今時の畳は軽いので、運び出すのもそんなに負担ではない」とは、いってもやっぱり軽トラに積んで、家の向かいのブロックに立てかけるだけでも汗はたらたら・・・・。

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天気予報では、雨の心配はなさそうでしたが、いつでも取り込めるように家の周辺にとにかく干す。板も家の周辺に干す。

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これが8畳分の板。

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シェリー(ラブラドールのメス)の小屋の周囲にも屋根にも、一部屋単位でとにかく干せるところには、おかまいなしに干していきます。

そして出来るだけ長い間、床に風を通すようにするのです。

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こうして毎年家の骨組みを見て、昭和の終わりのころ、家を建てる準備での、材木の切り出しの様子。さらに、ここに使った木が山に立っていた時の姿を思い出す。

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