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2012年9月

2012年9月30日 (日)

思い出スイッチ

両親も子も孫もみんなが揃うと決まった日、『こうのさちこ』さんに記念写真をお願いした。私が生まれ育った家を取り壊す前にそれができたらと以前から考えていたものです。そして、先日写真が仕上がってきた。

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両親は、なにかきっかけがあると私が生まれる前、昭和28年の水害の話が始まる。

水害の夜、気付いたとき家の中を日高川の濁流が流れていたから、両親が子である姉と兄をおんぶし二階から裏の石垣に移り、這って上がり竹馬屋(屋号)で助けられたこと。流されたと思っていた牛が翌朝いつも作業する田んぼに不安そうに立っていて一緒に泣いたこと。近隣の橋が全て流された日高川の対岸へ母の実家が心配して様子を見に来ていると分かったとき、家族全員が並んで川向こうに手を振ったこと。

その話が尽きると、筏宿をしていた頃の話。筏師さん達の様子。置き薬屋さんのこと。行商に来る人たち。牛車引きさん達のこと。次々と今のことのように聞かせてくれる。

今回の「思い出スイッチ」は、もうすぐ取り壊す家で撮ってもらった家族の写真。

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2012年9月27日 (木)

楽しいこと

我が家の稲刈りは、天気の具合が良い日の夕方3時すぎ、私が勤めから早めに帰り、家内と二人で一枚が2アール(200㎡)程の棚田を一日一枚のペースで作業します。刈った稲をさおに干し終わる頃には空がきれいな夕方色になります。

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二人で作業していても、4時には両親がデイサービスから帰るので、家内か私がお迎えとご機嫌伺いに一旦家に帰ります。時にはそのまま両親を案内し、車で田畑を見てまわることもあります。それも大切なくらしの一部です。

自分も家族も自然の成り行きに身を置き、その中で体を使い田畑から頂くことを有難く思い始めるとこんな楽しいことはない。

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2012年9月23日 (日)

チェッチェ

朝6時を知らせる村の鐘と一緒に、シェリーは逝った。シェリーは家族の中で「チェッチェ」の愛称もあり、「チェッチェおはよう」とか、その時々で彼女に二つのよび方をした。

「やっぱり家族やったんやな、淋しいなあ」おじいちゃんは独り言のように涙声でつぶやき食卓に着いた。それから、あんなこともあった、そう言えばこんなことも、悲しさを忘れるための思い出さがしが始まった。

みんなで畑に行くとき、うっふとチェッチェはやっぱりそこにいた。

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朝夕は、我家の散歩道。散歩と言うより好き勝手に走り遊び、「さっ、帰ろ」の一言で飛んで帰ってきた。でも、時には鹿を追いかけ行方不明にもなった。ヤマネを食べてしまったこともあった。

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家族で写真館へ行ったとき、はしゃぐシェリーを押さえながら花瓶を割ったこともあった。秘密基地のそばに雑草が芝生みたいになったとき、チェッチェは嘘みたいに、うっふと賢く座った。

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今日、家族は生きている時と同じように、でも家の周りを離れられずにいた。残ったうっふが、不思議に思うくらい、みんなは身の入らない家の用事をして過ごした。

急に動けなくなってからたった4日間でした。辛そうに呼吸する体を拭きながら「もう逝ってもいいよ」と何度話しかけたか分からない。14年間私達に多くの友人と癒しと心配を与え、一生懸命に生きてくれた。

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2012年9月19日 (水)

そろそろお別れ

シェリー(ラブラドールの黒)が昨日から起き上がれなくなった。

うっふ(ラブラドールのイエロー)のお嫁に来てくれて10年。始めは、2頭を連れて山へ遊びに行って岩場の道を通るとき、ついて来れなくて『そんなとこ行くな」と吠え立てるシェリーをうっふが迎えに行ったりしていた。

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その後すぐに山に慣れ、散歩に出て脱走することもしばしばだった。二回の出産で8頭の子(全員 黒)を育てた。お乳を与えているときも、そうでないときも子犬たちから離れない、用足しに外へ連れ出してもすぐに子育て箱に飛び込んで帰り、面倒をみた。良いお母さんになり、すごく穏やかな犬になった。

ところが、子育てをしているある日突然、元通りのおてんば娘のシェリーに変わったと思ったら、それからは一切子犬達に触れなくなった。二回ともその変わり方がおかしかった。

彼女は、喜びを尻尾で表現するのは尋常ではなく、そこらに尻尾を打ち付けてよく怪我をした。怪我が治らないうちにまた、怪我をするから、よく病院のお世話になった。

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あるとき動物病院の前を通った犬と遊びたくて、待合室から6ミリの一枚ガラスの戸を突き破って外に飛び出した。近所の人たちが事件でも起こったのかと飛び出して来るような騒動になった。そのアクション映画のひとこまのような瞬間はまだスローモーションで思い出すことができる。

女性としてのエネルギー、母としての深さ、動物としての瞬発力、全てにおいて並でないものを持っている。そんなシェリーと別れの時が迫っている。

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2012年9月17日 (月)

稲刈りと恋鳴き

 昨日、雨が降ったり止んだりした午前中は家で過ごし、午後今年第一回目の稲刈りをした。

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 刈って、はなちをセットして、それに稲をかけるだけの作業です。スタートになったのは大田。面積は名ばかりの3アール。それでも、家内と二人2時間ほどかかった。

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 大田から上に山までチリ、腰切れ、丸田と3枚の田がありますが、田植えからこれまでに四回サルの被害にあっています。私達は、被害にあっても作り続けなければなりません。

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 例えば、田に植林された木が大きくなり、その近くの田の日照時間が制約されるからと、稲作を止めそこに木を植える。すると、また次の田に木を植える結果になります。それと同じことが獣の害にも言えます。どのような被害にあっても、試行錯誤しながら体力の許す範囲の稲を作り続ける。

 間違わないようにしなければならないのは、稲作を続けることが重要とか、田畑に木を植えないようにしようとか、そのようなことではないのです。

 今夕、鹿の恋鳴きが聞こえました。

 

 

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2012年9月12日 (水)

木賃宿

 生まれ育った家を取り壊すことにした。

 元は、日高川をくだる筏師(いかだし)さんを主な客として、私の祖父が大正時代に始めた木賃宿でした。子供のころ、不便な場所に設けられた2箇所の階段が不思議でした。私たちはその家で昭和の終わりまで過ごし、今の家に引っ越した。

 その後、夢いっぱいの椅子作りをされる斉藤望さんが住み、フランス料理やドレッシング『梅樹庵』の竹内さんのご両親が住んでくださった後、この8月まで竹紙や綿花栽培から機織などをとおして創作活動をされる菅野夫妻(今竹生とアユンク)が住んでくれた。

 雨漏れがひどくなり、床がだめになり、柱は傾き、崩れないで立っているのが不思議なくらい老朽化が進んでいたのです。

 宿としての一番の思い出が二階の壁に残されていたので、菅ちゃんにお願いしたら、板壁ごと外して額にしてくれた。

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額は今、両親が暮らす離れに飾っています。

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2012年9月11日 (火)

峰朝日(軽トラック)

平日の夕方や休みの日は、家に一台の軽トラ(ホンダアクティー)の取り合いっこになる。

争いに負けたり、先を越されたりすると仕方なく草刈機を乗用車にのせて田んぼや畑に行ったりする。行くときは良いのですが、帰りは草まみれの機械と汗まみれの体で車に乗るから汚れる。わたしは気にならないのですが、そうもいかないらしい。

ちょっと田んぼの見回りに使う、西澤号(三輪のミニバイク)に草刈機は乗せられないから、思案していたところ「え~さんの軽トラより古いけどずっと程度のええ安いのがある」と友人に聞いて早速買った。

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名付けて『峰朝日』

夕方と休日は、私の愛車となります。

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2012年9月 8日 (土)

たまには

昨日は義父の命日でした。朝から山に入って榊を切り、お墓用に束ね、水を吸わせておいた。龍神の両親が老人介護施設からの車に乗り込んですぐ、家内と御坊の実家に向かった。

せっかく用意した榊を家に忘れて墓参りに行くのはいつものこと。両親生前の時、一緒に行った墓参りと同じように、なじみの店で榊を買い墓参りを済ませた。実家の雨戸を開け、風が通るようにしておいて義母を母のように思ってくれていた奥さんのところで昼食をすませ、おじいちゃん馴染みの寿司屋で家族分をにぎってもらった。

2年前に亡くなった義父は、特別な個性を持った人でしたが、私には優しかったし、話も聞き入れてくれた。「娘を人質にとった」私には、なすすべがなかったのでしょう。 ところが、娘(家内)はそのようなことは意に介さず、親に言いたいことを言い、よく喧嘩をしていた。

そして今、私は長女が嫁ぎ義父という立場になり、孫ができてじいさんになった。婿は義理とは言えないくらいかわいいし、頼りにしてしまう。それに孫もかわいい。たぶん、今の私と同じ感覚で義父は私に接してくれていたのでしょう。

たまにはブログを更新して、心の中を整理するのもよいものです。

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