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2012年10月

2012年10月20日 (土)

育った家

 民家を解体した材料を使って建てた家が私の生まれた家です。大正15年生まれの父も、私たちの子供もこの家で生まれた。この家で私たち家族は昭和の終わりまでをすごした。

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 鉄骨の部分は、私が高校生の夏休みに改築したところ。基礎工事から最後の仕上げ、朝から晩まで職人さんの仕事を手伝った。おかげで、湧水を集めて井戸に溜める工夫も、コンクリートで覆われ見えなくなったところの様子も思い出すことができる。

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 部屋への上がり口の木に今も残っている凹みは、物心ついたときからある。ここに『いしだま』(チャイナマーブル)を置き、棒ばかりの鉄の重しで「こん」とたたくと色鮮やかな縞模様の破片になった。それを少しずつ口に入れこりこり食べた。

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 二階の上み側は、私たち夫婦の始まりの部屋。風が吹けば蛍光灯を揺らして空気が通り、雨が降れば吹き込むこともあった。秋の台風や、冬の風には震えた。私たちは、古い板張り壁の隙間を埋めるために、子供が喜びそうな壁紙を張った。でも、あまり変わらなかった。

 屋根裏にスズメバチが巣を作った時は、洗濯物を干している間に蜂が紛れ込むこともあったから、子供たちの服やおむつだけはたたむにも裏返して見たり、手で挟むようにたたいたりした。

 この家で、私の兄弟も、私たちも、私たちの子も、雨の日は雨音で、晴れた日もそれとよく似たせせらぎの音で朝を迎え、育ったのです。

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2012年10月11日 (木)

青信号ひとつ

「話、聞きたい?」「結構ですけど」夕食後、家内の問いに洗濯物をたたみながら返事した。「絶対楽しいと思うけど?」台所の片づけが終わり濡れたままの手で、もう一度言う。

今日、町に出ての帰り道、上秋津の片側通行の信号で止まっていたら、こんこんと窓をたたく人に気付いて、開けたら。「そろそろ行きませんか。」「青信号ひとつ過ぎましたし・・・・」

信号で止まった家内は、エンジンを止めそのままうたた寝をし、青になってもそのままで、また信号が赤になって、それを我慢していた後ろの人が起こしてくれたそうです。

昨年の台風被害で片側通行の信号がいたるところに設置されていて、復旧とともにその数は減りましたが、家から町に出るのに虎ヶ峰を通るコースでは、まだ4か所残っている。たいがいのドライバーは、それが青になるのをイライラしながら待ち、信号機にセットされた秒読みのカウンターが20秒を切るとスタートする人さえいる。

片側通行の信号で、眠る人も少ないが、青信号で進まない車をじっと待つ後続の人も大したものだ。迷惑をかけた車が何台あったかは分からないが、クラクションを鳴らす人もいなかったようです。家内はお礼とお詫びに、信号を過ぎた次の広場で、皆さんに道を譲ったらしい。

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赤だろうが青だろうが、信号一つで人生に大きな違いはない。でも、ちょっとでも早く、ちょっとでも前へ、が当たり前の時代です。静かに青信号ひとつ逃してくれた後続の人たちは、多分笑いながら豊かな気持ちになったと思う。

家内は『寝ていた』だけですけど。

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2012年10月 9日 (火)

薄れる喜び

昨日、やっと稲の収穫作業が終わった。

今日は、勤めから帰って日暮れまでに『はなち用』の棹や杭を棹屋(さおや)に片付けた。

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棚田が多い龍神でもコンバインを使って1日で稲の収穫作業を終わる家も増えてきていますから、バインダ(稲刈り機)で刈って、『はなち』で天日干をしてハーベスター(自走式脱穀機)で脱穀するのが貴重になってきます。

二十数年前は、脱穀機を納屋から担ぎ出し田んぼの中に据え、発動機をセットし長い平ベルトで動力を伝えた。稲束を近くの田からオイソ(柔らかい布で作った幅5センチ、長さ3メートル程のベルト状の紐)で背負って脱穀機に運び寄せて稲はち(脱穀)をしていました。

その頃のことを思うと作業はずっと楽になった。時代の流れからか、作業が楽になった分か、収穫の喜びは薄れてきた気がする。

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2012年10月 8日 (月)

うっふ

 「うっふ」はラブラドールの♂、彼には「うっちゃん」「うっく」などの呼び名があります。

 子供たちが小さかった頃『たまごっち』が流行り、それを欲しがった。私たちは「本物を飼おう」とラブラドールの子犬をブリーダーさんから譲ってもらった。家に来る日はみんなでお迎えに行き、抱っこして帰って来た。名を決めるとき、家内が『たまごっち』を意識したかどうかは知りませんが、フランス語のたまごを意味する『うっふ』という名だけは譲らなかった。

 15歳は、犬としては長寿な方らしい。この年になると、もう若いころのように山の岩場を駆け上がる事が出来ないどころか、3センチの段差さえ思案したり、足が引っ掛かったりするので小屋の入口をバリアフリーにしました。

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尻尾をゆっくり振りながら、のそのそ小屋に入ります。

水を飲む時も、ゆっくりゆっくり・・・・。

その様子は、老いと言うより威厳です。

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 彼に、どうあってほしい等というような思いはありません。ただ、生きていてくれればそれだけでよい存在です。つまり、家族と同じなのです。

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2012年10月 5日 (金)

小森谷とひだる神

おやつを二人分入れているのは、『ひだる神』につかれたときの備えだと家内に言われながら持たせてもらった弁当を、家に忘れて同行の人の車に乗り込んだ。

ひだる神が体につくと、力が抜けてしまい、一歩も足が出なくなったり動けなくなるのです。

小森谷は、高野龍神スカイラインの起点となる大熊から枝道を入ってゆく。自分の弁当は忘れたけど、相棒が持っているからいざと言うときは半分ずつ食べればよいと私は勝手に決めた。

車道の終点から整備された遊歩道を歩き目的地に着いた。「午前中に仕事を済ませたい」気持ちがそうさせるのか、作業は思いのほか順調に進み昼前には何とか終わった。

小森谷の上流は、先日の台風で少し濁りは残っているけれど、その濁り方さえここでは美しかった。

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これから先の紅葉より、淡く輝く緑が好きだ。私は昼時だということもひだる神の心配も忘れ、光と影のさかい目に腰をおろしてそう思った。

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2012年10月 1日 (月)

薪作り開始

「え~さん、田んぼ?」勤めから早めに帰り『峰朝日』(軽トラの愛称)に乗ろうとしたら歯医者に来ていた近所の奥さんが声をかけてくれた。私が作業服を着ていると田んぼに行くと思うらしい。

もち米の稲こなしが残っているが、もう少し干しておいてその間に薪作りをすると説明して分かれた。近所の人たちは、各家の田んぼの作業具合をよく知っている。

8月の終わり頃から具合良く薪の用材を集めることができていたが、なかなか薪作りをする余裕がなかった。

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細く見えますが、けっこうな太さで、時間の余裕もなかったのですが、その太さに心の余裕もなかったのが正直なところです。杉やヒノキは風呂用に、その他の広葉樹は薪ストーブ用にしますので、用途別にカットするサイズを変えます。

で、今日から少しずつチェーンソーでのカット作業と薪割りを始めます。

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