自然と暮らし
2010年1月20日 (水)
2009年11月13日 (金)
薪割り道具
薪割りのとき杉やヒノキが少しある時はヨキ(斧)を使い、堅木(かたぎ=薪用の広葉樹)の太いものや枝が出ているものは、油圧を利用した機械で割っています。
家で使っているヨキは何種類かあり、薪割り作業用にだけ使うものがこの右側にある2本で、左の2本が山で木を切ったりするときなどに使うものです。
これらを比べて大きく違うのは刃と柄です。割るために使うものと、切るためのものは違って当たり前ですが、まず刃の角度が違います。左が薪割り用で右が山仕事用です。
薪割り用を使うと『ポッコーン』と気持ちよく割れますが、山仕事用はそうはいかないことが多い。
柄は、薪割り用は太くて真直ぐですが、山仕事用は断面が楕円で刃と反対方向に少し反っています。
何気なく使っているものですが、このように見てみると目的に合わせてよく考えられている。
きっと昔の人は、これらの道具の形だけに頼るのではなく、例えば薪を割るとき太い木、枝分かれしたところ、その木に合わせさまざま工夫し上手く割ったのだろう。
家にあるそれぞれのヨキをもう一度観察してみようと思う。
今夜も燃えてます。
2009年3月20日 (金)
薪ストーブと子育て
夏は別として、雨の降る日は薪ストーブを焚くことが多い。
昨夜などは、結構雨が降ったので『薪ストーブ』となりました。一夜明けても雨は残っているし、ストーブに火も残っていたので、薪を入れた。
10時頃から日があたり始めた。ストーブは絶好調。部屋はちょっと暑い。そこで、「今日は彼岸でもあることですから」と先日からの『味噌の麹がよく育つ音楽』をかけながら、いつもの椅子に座って本を読むことにした。
今読んでいるのは、『子どもはなぜモンスターになるのか』です。この本は子育てをしている人たちだけが読む本ではない、今を生きる者がちょっと振り返るのに、大切なヒントをくれる本だと思います。この部類の本で助けられたり、反省させられたりしました。今回も反省ばかりしながら読んでいます。
これからも身近に置くだろうと思う本3冊です。『子どもが育つ魔法の言葉』は息子が買ってくれたもの、『自分をまもる本』は私が家族に1冊ずつプレゼントしたものです。
子育てのとき犬たち(ラブラドールのうっふとシェリー)にはずいぶん助けられたけど、今日のように薪ストーブのそばで過ごすような時間もあったらよかったと思う。
2008年10月27日 (月)
クロモジ
いつもポケットにクロモジを入れています。
嫌なことがあったり、何かに飽きたとき、かぎます。良い香りがして、すっきりした気分になれるかな?と期待して持っているわけです。全て期待通りの香りがするかというと疑問で、採ってすぐは青臭いし、時間がたつと匂わないし、固体自体にも差が有るような気がします。
私にとっては、香る強さが問題ではなく、そこにあればよいという「お守り」的存在です。
クロモジは、冬が始まる前にちょっと芽を出し「冬を越せるかな」と心配させておいて、春の光に柳の葉のようなうぶげいっぱいの芽を輝かせるのです。緑の軸に黒いしみが模様となるからクロモジって名だと聞いたことがある。
事あるごとにクロモジをポケットから出してかぐなどというのは、普通ではないような気もします。クロモジばかりに頼ってはならないと、最近はヒノキの心材をポケットに入れています。(似たようなものです)
2008年10月21日 (火)
感じること
季楽里龍神での『朝の散策』は続いています。
この散策で、ひとつだけ守り続けていることがあります。それは、コースの下見を欠かしたことがないということです。案内する前の安全確認が主ですが、動植物の様子、花は、谷の音は、足跡は、匂いはなど『何をお伝えするか』を考えるわくわくする時間でもあります。
昨日、いつものように林道を入ると、道沿いにサルを1頭見つけた。私には気付いていない様子なので姿が見えないところまでバックし、いつも持っている鈴を大きく鳴らしながら入っていくと、威嚇するような声が聞こえ始めた。姿が見えるようになってもそこから動かず風邪をひいて咳き込むときのような声を発し続けていた。
目線をそらしながら知らんふりして近づいても動かないので、私はその場を引き返した。幸い散策はキャンセルになり、危険な散策にならずに済んだ。
今朝の下見、昨日のその場所でサルは死んでいた。多分、群れの争いに敗れ致命的な傷を負ったのだろうと思います。事前にそのことをお伝えし散策に入った。希望される方には、ここでくらす動物が死んですぐの様子をご覧いただいた。
私は動物が動いている姿を見るのも良いとは思うのですが、足跡やフンを見つけたり、食べたあと等から何かを感じることも大切だと思っています。
2008年10月20日 (月)
ヤマカガシ
私はヘビが苦手です。
ヘビを見かけると、もちろん避けて通っています。あぜ道などでは避けることはできないので棒でつついて「あっち行け」ってしてましたけど、和歌山で暮らしている写真家が逃げないヘビがいるところとして、龍神村のある田んぼを紹介した。
その田を管理するおじいさんがヘビの存在を認め、追っ払ったりいじめたりしないから人が近づいても平然としているお話を聞いて、私もそうしようと決めた。今もやっぱりヘビを触れない。冬にホースを見てドキッとすることもある。
でも、ヘビを認めるようになって我が家の田にはヘビが多くなったような気がする。春には、狭い範囲に10匹ぐらいが集まることもある。そして、ここ数年は、春先一番初めにいつどこでヘビを見かけたか手帳に書いたりもしている。問題は、秋の終わりどこで見かけたのが最後だったかと言う記録ができないことです。
昨日田んぼでシマヘビに出会いこれが最後かと思ったら、
今日季楽里龍神の橋でヒバカリ(ヤマカガシ)に出会いました。震えながら1mくらいまで近づいて写真に撮りました。あまり私が追っかけるので、ヒバカリはきっと嫌だったことでしょう。
2008年9月26日 (金)
絵本が教えてくれたもの
ワニ山は、私たち家族がそう呼んでいるだけですが、そろそろその姿が変わろうとしています。
それは日高川町にあります。日高川を下るように龍神から御坊に向かうと、旧美山村を過ぎ旧中津村に入って少し進むと、直線道路の向こう側に見えるのです。
左の山の空との境い目にワニが山肌を登っているような姿に見えますからワニ山です。20年位前に、山の向こう側の木を切ったとき、何故かここの丘のヒノキを切らずに残していたものがこのように見えるのです。最近、手前の若い木が大きくなったのか、残ったヒノキに枝の葉が茂ったからなのか、だんだんその姿が意識しないとワニに見えなくなってきました。
右手に見える山が「くじら山」です。絵本に出てくるくじらのような姿なので、そのように呼んでいました。
幼かった子供たちを連れて実家に向かいながらここで「ワニ山だ、くじら山だ」と見たものです。このあたりが龍神から御坊へ向かう中間地点、車にも飽きてくる場所だったので、このふたつの山には随分助けられたものです。
おもちゃやゲームもあった中で、家族の誰が発見したかわからないワニとくじら、通るたびに飽きもせず「感動の一騒ぎ」ができたことは、ありがたかったといつも思います。
私たちの発見や感動は、家族のまわりにいつもあった絵本が教えてくれたものなのかも知れません。ワニの姿が変わっていったように、子供たちも大きくなりましたが、あの時のワニとくじらは変わらず家族共通の話題ですし、今も違った感動をくれています。
2008年9月 5日 (金)
働き者
おばあちゃん(母)はひどく働き者です。
11月で81歳になる母は、じっとしているのが一番の苦痛みたいです。ですから一日を寝ているか、動いてるいるかのどちらかで過ごします。厄介なのは、寝て英気を養いますから、起きた時は記録に挑戦する運動選手並の行動をする。例えば鍬を担いで国道を横切ったり、鍬を担いで坂道を何とか上がるなど、その様子を見たものはハラハラものです。
自分が何かピッとひらめくと畑に出たり、台所に立ったりする。足元がおぼつかなかったり、火が危なかったりするので家族によく咎められる。だから最近は「おばあちゃん何処行くん?」て聞いても、まずい時は返事をしない。聞こえないふりをするようになった。
今朝、麦を干そうとひとりで大騒ぎしていたので少し手伝った。母はシートに麦を薄く均すようになると、履いていたスリッパを脱いだ。そういえば子供のころ、莚(むしろ)を踏んだだけで尻を叩かれた。莚は、その上に膝はついても良かったけど、足で踏んではならないと教えられた。 自分が働きかけたからとはいえ、自然からの恵みを干したりするのに使う莚を足で踏むことは許されなかった。
記憶をたどってみると、きつく言われたのはそのようなことだけで、母は声を荒げて私たち子供を叱ったことがない。あの時も黙ってたし、あの時もじっと見ているだけだった。
働き者のおばあちゃんに、もう少し優しくしなければならない。
2008年8月25日 (月)
2008年8月22日 (金)
みのり
私たちの田がある場所は西明(にしみょう)というところです。その昔大峰山東光寺というお寺があった場所から西に位置するからでしょうかそのような地名になっています。その東光寺もいまは、大きなクスノキの下に薬師堂がポツンとあるだけです。
昨日、西明で一番早い稲刈りが行われていました。竹馬屋の長(おさ)やんです。2日ほど前から田圃の岸(山側)にさおが持ち込まれ立ててありましたからそろそろ始るとは思っていました。それにしても、たくさん刈っているのにびっくりでした。長やんはすごく仕事の速い人なので当たり前といえば当たり前なのです。
一枚の田んぼは、うちよりも広いのですが同じような棚田を倍くらい作って、奥さんと二人で収穫まで面倒を見ています。
百日紅の木が花をつけ始めたので、我が家もそろそろ覚悟の季節。夏の盛りは過ぎても、長袖のシャツを着ての稲の収穫作業は汗まみれになります。稲は機械が刈ってくれますが、さおや杭をかついで棚田のあぜ道を下りたり上がったり。一束、ひとたばさおにかけて干します。田に干した稲は天気しだいで、稲こなしの日が決まりますからこちらの都合は関係なしです。
春も何とか水を張ることができたし、夏も台風が来ず、谷の水が心配になると夕立が来てくれ秋を迎えています。春から今まで気候に恵まれ稲が育ったという実感がなかったら収穫はつらいものになりますが、収穫量の多少に関係なく実りの季節に田に立てることがありがたいです。
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